恒温ミサイルin体内
昨夜の夢のお陰様で大変不機嫌な1日でありましたw
そもそも私ってそーんなに不機嫌になるような人じゃあありません、個人ゴトで感情がプックリ出るようなご機嫌な人でもなけりゃあ、気に入らないという理由で理不尽になったり、アクシデントによって萎えたり、、、だったり。
不愉快な夢、はぁ? 面白いだけじゃないかw
でも、今日は不機嫌だったなーーー!!!!!
まあ、皮膚の表面で人間がしばしば見る、顔とかいう部分には一切出さなかったので、誰も気付いていないんで、無害、ただ脳内で連鎖破壊してただけですからw
絶対に夢だ、と判ってるときに見てる夢って、幸福な夢でも大概面白くないですよね、だってその幸福が私の脳と歴史と何らかのこじつけの所産な訳だからw
あーやだやだw
どうせなら昔みたいに、10トントラックの前面に貼り付けられて崖から墜落するような、スリリングでアグレッシブな夢を見たいもんだ、余りに現実的な夢って、『あ、でもこれ夢ですよ』と耳打ちされた後でも見ないとダメなシチュエイションがとってもにがいです、苦手ですw
さて、ハロコンが終わって、いよいよ秋のツアーに向けた動きをしないといけなくなってきた訳なんですが、どうも進展しないです、光モノがw
この秋のツアー、Berryz工房のツアーとモーニング娘。のツアー共々に、テーマがあるんです。
そもそも、Berryz工房の単独ツアーは宮殿以来1年振り、既に入ると決まっている公演が8公演、これでも1年間で入る単独ツアー公演数が10にもならない、行って後悔はあったりもして無かったりもしたカオスがもし単独ツアーだったら、と思わざるを得ない。
ベリキュー!とか見てたら、てか見る程に、Berryz工房の醸し出す微妙で絶妙な、ある意味ロックな空気のほうが私は好きなんですよ。
まあ、正直この夏のハローで感じた、特に脳に直接的だった感想が、この秋のスケジュールに大きな決心のようなものを盛り込んでくれたので、今までより素直にステージを感じ取れるだろうし、ここ何年か忘れてたようなものもごっそり戻ってきたので、そのあたりがテーマとなっています、Berryz工房のツアーは。
娘。のツアーは、私の中ではカレー以前とカレー以降で大きな違いがあります。
そもそも、私のヲタとしての歴史をじっくり眺めれば、自然と見えてくる異様な数字の違いは、カレーから始まったものなんです。
カレー以前3年半で参加した娘。の単独ツアー公演数は28公演、カレー以降2年で参加した娘。の単独ツアー公演数は57公演、
初めて初演に入ったのがカレー、初演と千秋楽を両方体験したのもカレーが始めて、新垣さんの生誕というものを会場の中で祝ったのも、やはりカレーが初めて。
恐らくカレーに入っていなければ、今の出会いやこの2年間の特に貴重なお付き合いは無かったものでしょう。
そして、カレーの初演以来、私の方針としてずーっと据えてきたのは、初演の夜公演を回避するという決断でした。
これには幾つか理由がありましたが、その最も大きな理由は、ズバリ体力でしたw
正直カレー入る前って体力的にかなり衰えている時期で、あななし1曲フルスロットルでこなしたら過呼吸になるっていうくらいしょんぼりな弱さでした。
初演、夜、と公演をこなした上で翌日の公演に入るというのは、セットリストが判らない時点の体に対して余りにも負担かと思っていたのと、移動手段がバスか18きっぷという時代だった故の、体力消耗に対する不安というもんでしょう。
今回、初となる、初演の夜も入るという行為、これには大変大きなきっかけがあります。 それは、前のシングル大全集の夜公演に入らなかった自分の中にあった何か新しい気分でした。
それは、モーニング娘。、多数の娘。ヲタ、スタッフ、それらが1箇所で空気の渦巻く次元を共有しているその蚊帳の外で時間を浪費しているという感覚でした。
特に体力消耗率の高いツアーだったから、余計に感じた、不完全燃焼感、それこそ、初演の夜を回避していることに他ならないというのが私の答えでした。
あと、今回のツアーは追加の可能性が非常に低いツアーで、大阪での千秋楽という、娘。単独のツアーとしては中澤ねえさんの卒業ライブ以来の出来事で、また、会場も今まで利用したことのない会場で、ホーム会場とは言えない場所での千秋楽、実に嬉しくも、複雑でもあるツアーです。
初連番の予定もあり、実に多彩と言えます。
カレー以来、とにかく私はがむしゃらでしたし、妥協をしないよう心がけようともしました。
不可抗力的で行けなかった公演もあったけど、カレー以降入った全ての初演と千秋楽は、実に貴重なものであったと、今でも全てが大切な宝物となっています。
千秋楽に残念な気分になったことも1回も無いしw
もし、自分がモーニング娘。に出会っていなかったら、そして、モーニング娘。に出会えたからこそ、その出来事が今の私をしっかりと支えています。
新垣里沙という人の人柄に触れる事がもし無かったら、もし新垣さんと全くの関わり無くBerryz工房への方向に進んでいたなら、きっと私も彼らのような愚か者であったに違いありません。
人間なんて、余りにも微量の良心を鼻先に乗せてえらそうにしている、まるで堕落で薄められた濃厚な悪意のような、そんなものだから、一瞬でも自分が悪意や堕落を掲げた瞬間があったら、それだけで心底不愉快になってしまう、私はそういう人だから、きっと新垣さんとの出会いが無ければ、もう既に人間が人間を裁く行為に身を投じていたことでしょう。
初めて新垣さんと出会ったときからずっと変わらないもの、梨沙子と出会ったときからずっと変わらないもの、その両方を、何でだかよく判らないけどとっても再認識したこの夏のハローだったから、この秋は意味深いんではないかな、と思っています。
明日は不機嫌にならない素敵な夢から醒めたいものです。