私が選挙に行かない理由



この時期になるとよく考えることです。


私は選挙に行きません。





『米国のまき散らす人血を飲み、ばら撒いた人肉を食らう、残酷国家の奴隷』


日本の正式名称です。


ほんとうに恥ずかしい国名ですよね。





公表されている歴史によると、大東亜戦争以前日本は米国と経済交流があり経済の一環とされていたが、日中戦争以降米国は中国を擁護します。


大東亜戦争は、米国側と日本側の緊張した摩擦の上で起こったとされます。


この戦争の結末は、日本としては絶望的な降伏でした。


日中戦争の最中、日本も中国も米国からの物資輸入(購入)によって戦争をしていました。


米国は中国を支持し、日本への物資流出や米国内在住日本人の資産の凍結を行いました。


そして、日本人に対する人種的攻撃を行いました。


日中戦争はおろか、大東亜戦争の対日戦局は米国のコントロールによるものだったと私は考えています。


今まで戦争をするのに必要な石油や鉄屑を提供してくれてた米国が、突然それを絶った訳です。


当時の日本の政権者はそれは混乱したことでしょう。


日本もまた世界を相手に国益を望む愚かな国家になっていたわけですから。


米国は徹底的な国家差別と経済制裁によって日本を追い込みます。


そして、日本が手を出してくるのを待ちます。


日本は遂に真珠湾を攻撃します。


米国は、自己防衛みたいな恰好で日本に攻撃をしてきます。


実際に戦場で戦った方々にしてみたら、どっちにしても死とセットの行為だったのは確かですが、国家には愚かなメンツがあります。


日本に対する物資の流れを作りさえしなければ、日本に長期戦の手段など無いのは明らかでした。


日本は小さな国です。


米国の面積や人口や資源からして、とてもじゃないけど敵う相手ではないのは米国側から見たら明白でしょう。


日本は必死になりました。


長期戦になりさえしなければ良い、そう思ったのだけど、そうはいきません。


大東亜戦争は長期戦に突入し、日本は圧倒的な速度で国力を奪われます。


対する米国は、非常識な国力を投じてバカみたいなコストの掛かるテロ爆弾を造り上げます。


この爆弾は、日本に圧倒的な絶望を与えるために大金という言葉さえ小さく感じるほどの金を掛けて短時間で作られました。


その頃日本国内では国民が飢え、戦闘機や兵器の資材を国民から集めないとどうにもならないぐらいの状態になっていました。


国民は絶対的な不安の中、家族や友を戦場に送り、無駄に死なせました。


日本は意地でも米国をギャフンと言わせないといけなかった、ギャフンと言わせさえすれば、貧困から脱却できる、そう信じてました。


日本は、操縦者付き爆弾を作り、人間ごと空母を狙うという奇行に出ました。


現場の米国兵士もさすがに怯みましたが、米国自体は怯みませんでした。


米国にとってこの戦争の大義名分は、米国の位置付けの絶対的頂点を得ることだった訳だから。


そして、米国は強烈なテロ行為によって日本の二か所の非直接的戦争参加者を殺害しました。


技術があるというコトと、実際にやるってのは、全く話が違います。


米国は、やりやがったのです。


そして現在、米国はどうでしょうか?


対テロ国家として君臨しているではありませんか。


自国の国益と絶対的支配力を得るために国力と大勢の自国民と他国民を殺害して、自分達のテロ行為に対して口を閉じて、他国の混乱状態を『テロ
』と呼んで攻撃します。


昨今のテロと呼ばれる人たちも、米国の出資で設立された傭兵です。


米国は『私の国家はテロに屈しない確固とした国です』と言うために、自分たちで敵を製造し、その敵を弾圧し、追い詰め、攻撃を起こさせています。


米国のやり方は昔から変わりません。


日本は『反戦国家』として主張を続けています。


しかし、日本は今や米国の奴隷のごとく『私たちもテロに屈しない』と言っています。


日本人の決意は米国のどのものよりも痛烈ですよ、だって、あのテロ爆弾を落とされた唯一の国だからね。


私たちは、米国によるテロで70年前の多くの非直接的戦争参加者を殺害されました。


テロ爆弾だけではありません。


本土への無差別テロまで行われています。


米国は、大東亜戦争中に本土を侵略されたことはありません。


しかし、米国はもっと過激な方法じゃないと新たな権威を得られないと思い、自国の巨大なビルに自国力で製造した傭兵を突入させ、自国民をゴミみたいに捨てました。


世界が驚愕しました。


70年前と同じような驚愕を与えました。


そして、報復としてテロと呼ばれる人達を攻め、殺害し、勝利を宣言しました。


現在の大きな戦争は、米国の国益と権威の維持のために行われています。


そして、米国に属さないという事が世界平和に繋がらないと言います。


米国は、どんだけの人間をゴミ屑みたいに殺害したでしょうかね。


日本は大東亜戦争の敗北以来、大量殺人を自国行為として行っていないため平和国家だと言われますが、米国の奴隷でいる限り、こう言う事です、


『米国のまき散らす人血を飲み、ばら撒いた人肉を食らう、残酷国家の奴隷』なのです。


米国に育てられ、見捨てられ、敵と言われ、制裁を与えられたら、冷静になれるでしょうか?


世界中が徹底的な刷り込みをされたので、まるであの戦争は日本が完全戦犯みたいになってますが、本来の戦犯は米国です。


米国は、世界をある一つの思想で統率しようとしてますが、この思想は本当に危険だと思います。




私は決して選挙には行きません。


日本の国家そのものが米国の奴隷から脱しない限り、選挙行為に携わるだけで、米国のまき散らす人血を飲み、ばら撒いた人肉を食らう、残酷国家の奴隷となるのと同じだからです。


選挙への参加が国民の義務であるとするのは何故でしょうか?


それは、日本人の国民性が、そもそも過激じゃないからです。


選挙権が18歳まで引き下げられると、何が起こるでしょうか?


それは、米国のまき散らす人血を飲み、ばら撒いた人肉を食らう、残酷国家の奴隷を増やすだけです。


日本は決して独立国家ではありません。


米国の後ろ盾無くして存在できない、そういう国です。


だから日本には米国の基地があるんです。


日本の基地はありません。


9条によって日本の基地は存在出来ないからです。


しかし、9条は日本を和平に縛るためには無くてはなりません。


というか、そもそも9条がどうのこうのってもんではない。


どうあっても、日本は国力で基地を持つことは出来ないからです。


日本の国土の対外的和平は米国の圧力によって保たれています。


そして、この和平を保っているのは政権者です。


我々が選挙で選んだ人が何か決めるんではない。


耳触りの良いことを言う人を選んで、米国の機嫌を取る奴を決めてるだけです。


選挙の結果、日本国民が顧みられないのは当然です。


日本の国益は米国の国益だからです。


米国の国益のための行為以外は、特に重要じゃない訳です。


米国の国益のためになる国民を量産するために、米国の指示通りの刷り込みをしてきました。


わたしもその刷り込みをされた訳ですが、刷り替えに成功しました。


しかし、ただ、刷り替えに成功しただけです。


私がその結果何かをできる訳じゃありません。


刷り替えに成功した人のコミュニティは米国が必ず破壊しに来ますから。


結局刷り替えに成功した人ってのは、個人力しか無い訳です。


個人力は、残念ながら選挙の一票より軟弱です。


でも、私はそうやって米国のまき散らす人血を飲まず、ばら撒いた人肉を食らわない選択をしました。


日本人として、本当に対外的和平の思想があるのであれば、選挙に行くべきでは無いでしょうね。


あなたが選挙に行こうと、あなたの選んだ人が選ばれようと、そうでなかろうと、日本の政権者が出来ることは一つしか無いんだから。


大東亜戦争の記録から私が見つけた答えは、選挙に行かない、ということだけでした。


自分の死は私の望みじゃないからね。