大東亜戦争、教育の脅威



私は小学校の教育で修学旅行は広島でした。


小学校の戦争教育のインパクトは全て原爆のショックさに持っていかれて、やはり自分で掘り下げる必要を感じるまでは、大東亜戦争についてはそのイメージでした。


小学校の教育で何故事実を教えないのか、という点については理解出来ます。


しかしやはり、事実に触れた途端、誰もが口にする『忘れてはいけない』というワードに、恐怖を感じてしまいます。


大東亜戦争の唯一の教訓は、米国に煽られるまま戦争をすれば悲惨だという事だけです。


今の世代の日本が触れる戦争は極めて他国同士の戦ですが、大東亜戦争終結後の米国の戦をよく見れば、その結末が見えてきます。


日本は未だに米国の配下国家ですから、米国の属国であることには変わりません。


日本視点で『戦後70年』と考えるか、米国の属国視点で『未だ戦時中』と考えるか、この視点の違いが日本の抱える大きな課題ではないかと思っています。


戦後70年経った今もなお日本国土内に米軍の基地があり、住民・米軍・政府の間で摩擦が続いています。


その地域だけで考えるなら、確かに平気で『戦後70年』と言えるでしょうが、日本国土が僅かであれ米軍の基地により占有されているのであれば、戦争が終わったとは言えない筈です。


日本は、米国に守られているのではなく、あくまでも米国に支配されているのです。


言葉や条約や法律はあくまでも言葉です。


現実は悲惨です。


和平の根本的な道筋は米国が断ち切ってしまう、この歴史はずっと続いているのにも関わらず、日本に平和が保たれているなんて言えない。


曾て大東亜戦争中、日本は極めて厳しい報道制限をしていたため、特攻の死は誉れあるものとされ、万歳三唱の対象でした。


国家の志のための死は、たとえそれが極限まで歪んでいたとしても、讃えられたのです。


私たちが仮にあの大東亜戦争で何かを学んだのであれば、今一般的に言われるテロリストと呼ばれる人達の行為を憎むのは間違いでしょう。


彼らもまた志のために自爆攻撃を行い、讃えるのですから。


もし、あの大東亜戦争の特攻が間違いであったのなら、日本のために散ったとされる多数の若者や家族や友は、嘆くしかないでしょう。


だがしかし、最も嘆くべきは、そんな作戦や国民の苦しみと関係無く、戦争中に『実験』と宣ってテロ爆弾を落とした国が米国だったことです。


米国は今も昔と同じことをしています。


日本は米国の属国となったけど、日本人は何故だか心からあの戦争を悔いています。


大東亜戦争とは、米国が示した新しい戦争の脅威を知らしめるための舞台だった、これが事実です。


戦後70年、いや、開戦70周年です。


日本の歴史教育・道徳教育は、根本的な歪みを持っていることを認めた上で、事実を知る努力をするのが、日本人がこの70年をよくよく考える上で必須の教育だと、私は思います。





忘れてはいけないことを、正しく学ばなければいけない。


これが教育の安全の道筋です。