娘。が始まって18年経過しました。
私は、厳密には2001年に娘。と出会いました。
なので、私が関与しているのは14年。
そのうちの約10年は、主に新垣さんを推して、というかお慕いしていました。
周りの会話は今でも覚えてますし、現場でのバッシングも自分で見たり感じたりしながらのガキヲタでしたが、嫌だなぁなんて一度も思いませんでした。
新垣さんに貰った10年は、私の生涯の誉れ高い宝物です。
ごく初期のライブ中に新垣さんに『ガキさん!』って叫んだときのあの表情を、新垣さんのあの表情を、私は一度も忘れたことありません。
あの時期って、明らかなガキヲタなんて本当に僅かでしたからね。
私が新垣さんと初めて言葉を交わしたのは、サーキットなんちゃらっていうイベントの時。
新垣さんには後光が射していて、なんというかまー、凄かった印象ですよね。
人間が腐らない道ってやつを、新垣さんのあの表情に教わったような瞬間でしたね。
新垣さんは、私に多くの仲間を与えてくれましたが、やはりその中でも、まつ。、この人物との出会いは大きいものでした。
最終的に彼は新垣さんの卒業の場所に居ることが出来ませんでしたが、現場に挑むとき、彼のことを考えないことはありませんね。
まつ。に限ったことではく、私に大事な時間をくれた仲間のことを、ライブ開始の時間に瞑想します。
今はもう会わなくなった仲間でも、あの時間に感謝するんです。
新垣さんは、娘。として燃焼し切りましたし、その歴史に立ち会えて良かったと今も凄く感じてます。
新垣さんの卒業は、私の娘。に関与する歴史の中では、一つの点です。
大きな転機でもありませんでした。
私にとって娘。ヲタとしての転機は、生田衣梨奈さんに滑落した時です。
見事な滑落でした。
もうあっぱれ感の塊ですw
もしあの滑落が無ければ、石田亜佑美さんか佐藤優樹さん推しになっていたように思います。
しかし、滑落もまた歴史。
今の私は、えりぽんヲタのシス卿として頑張ってます。
しかし、やはりいつかはやって来るえりぽんの卒業。
えりぽんヲタとしてやらねばならん悪事が、まだいっぱいあります。
5年は一つの区切りです。
しかし、今また娘。の歴史は大きく動きました。
まだまだえりぽんには色々とやって貰わないと困りますが、えりぽんのフォーカスが新たな高みを捉える時、私は否定的になってはいけませんね。
ガキヲタだった私より、えりぽんヲタの私のほうが賢明でなきゃいけませんからね。
娘。の歴史は私の歴史でもありますからね。
19年目の歴史は、私もその証の一部分です。