破壊的に生きる



間もなくこの秋の娘。のツアーが終わります。


本当に色んな起伏のあるツアーです。


正直、誰かの卒業発表があるんじゃないかってのは予測してましたけど、まさかの里保ちゃんでした。


まあ、これが一番の起伏でしょうね。


個人的にはもう既に数えきれない起伏があるんですが、それはそれとしたいもんです。


こんなに釈然としない卒業は本当に初めてな気がします。


エースが本体で卒業ツアーを出来ないっていうのはもうそれが事件ですから。


歴史的なものって意味では無くね。


卒業の末にこっち側に解消しない感情が残ることは多々あります、遺族会ってやつです。


しかし、こう、なんというかね。


ツアー初日で発表してそのツアーの最終日に卒業したメンバーが居ましたが、あの卒業もツアー最終日での卒業であり、一応本体での卒業を全うしました。


吉澤さん以前のメンバーですと、安倍さんから小川さんまでのメンバーは本体ツアーでの卒業はしてませんでした。


ただ、あの頃は本当にDDの権化という時代でしたから、まあアリだったのかも知れません。


今の状態では、ハロコンでの卒業だったとしても無関心な方が大勢いらっしゃる状態だと思います、そもそもそんな中でカウントダウンライブでの卒業をですよ、先行も終了した状態で行う、これはね、ちょっと違い過ぎます。


卒業の理由に関しては納得出来ますし、とっても理解出来るんですが、時期が釈然としないにも程があります。


そこへきて無謀なイベントをブッ刺して来るのもまたどうかと思うんですよね。


里保ヲタに優しくない以前に、娘。ヲタに対してはもう放棄に近いものを感じざるを得ない。


そりゃ里保ヲタは無いものを絞っても頑張るでしょう。


頑張れない里保ヲタは、頑張れる里保ヲタよりも重いものを背負う遺族会員になるんです。


私がBerryz工房と接したあの数年のようになる人だって、居るかも知れないですよね。


でもね、里保ヲタだけが里保ちゃんを応援してるんなら、凱旋公演でああも真っ赤な鞘師コールが起きるもんでしょうかね。


娘。ヲタは、そもそも娘。ヲタなんです。


モーニング娘。という存在を推す大勢の人の集まりです。


この大勢が、どういう訳だか放置されてますね。


こういう言い方はダメかも知れないですが、そういう意味ではもう私は16'に意識が行ってます。


15'の最後が、どうにもこうにも参加が危ういようなカウントダウンライブだと言うのであれば、私はもうそこに対しては諦めることしか選択肢はありません。


貧乏娘。ヲタだからね。


拍車が掛かったとは思いますが、本当に無理なものは今でもイベントを中心に容易に諦めてます。


予定は未定です。


来年の春は、私にとってどんなツアーになるのか、ノリさんにとってどんなツアーになるのか、まつ。にとってどんなツアーになるのか、


その興味が今は私を支配しています。


ただ、やはり私はこの秋ツアー大好きなんです。


初演から札幌まで、特に札幌まで、ここまで緊張感に満ちたツアーは初めてな気がします。


しかし、広島を終えて、その正体不明の緊張感は消えてしまい、ツアーに参加するということ自体に対してとても高揚してました。


病に倒れて1公演を断念した大阪ですら、参加した夜公演はとても充実した時間でした。


このツアーは、鞘師里保の卒業ツアーではない。


あくまでも、このツアーの最終日は、鞘師里保の娘。での単独での時間の終焉です。


モーニング娘。鞘師里保の最終日は、大晦日なんです。


それでも、やはり特別な武道館公演となることは予測できますよね。


実際、こんまこのレインボーの埼玉は特別でしたからね。


私は娘。によって生かされてます。


だから、娘。の状態に対して不安を感じたことは、正直一回もありませんでした。


誰が卒業しても、だいじょうぶ。


メンバーは常に不安でしょうけど、私は不安に思ったことは無いです。


里保ちゃんの卒業は、絶対に娘。に対してはプラスに働きます。


即座に結果が出なくても、気急くのは禁物でしょう。


その根拠は、私にとっては新垣里沙という人物です。


娘。の歴史に対しては、全てのメンバーがその根拠です。


娘。が以前のどの時代より劣ったことはありません。


それがモーニング娘。です。


とてつもなく破壊的であり、とてつもなく建設的です。


まるっきりネガティブな状態を以てポジティブを極めるのがモーニング娘。です。


卑屈、不安、恐怖、とかそういうのが、ライブの空間だけで十分に反転できる、それがモーニング娘。です。


15'では、特にそういう一年を見せてもらいました。


プラチナ期のメンバーへの依存の不要をきちんと証明してくれました。


だからこそ、その結果については、このツアーが進み、遂に終わる武道館での公演に向かってゆく過程ってのは、里保ちゃんの卒業を以て、何も終わらんというその片鱗であろうと私は掴んで終える、それだけです。


本当に悲しいです。


常に卒業は悲しいです。


その悲しさと娘。の発展は、見えないようにしっかり繋がってて、その数珠繋ぎこそが、娘。の歴史であり、変化の過程なんです。


今まで私が参加した卒業公演で、一粒だって涙の出ない公演など殆どありませんでした。


唯一挙げるなら、Wの卒業公演ぐらいでしょうか、あの公演だけは今もしこりが残るものです。


だからって否定的な感情があるんじゃないです。


卒業は常に悲しいものです。


大事なのはその続きです。


悲しみに溺れる暇も無く、娘。はフルアクセルを続けます。


それがモーニング娘。の最も贅沢で有利な手法です。


私は、そこに長いこと乗っかってます。


今回の卒業の瞬間には、恐らく立ち会えないでしょうが、その空間の傍には居たいと考えています。


これは、私の唯一の参加方法です。


遠くから念を送る程度の参加は、私が娘。に対して、その時間に対してする事じゃありません。


私自身の記録は恐らく途絶えますが、娘。の歴史に関与するのが終わる訳ではありません。


そもそも、私の参加・関与率はまあまあ低いですから。


欲と言うより、務めに近いものを背負って娘。に接してるから、そうなんでしょうね。


それぞれの時間の濃度を上げることに邁進しておれば、数はそう大した問題にはならないという考えです。


来年の春は、必然的に数が減ると思います。


それは別に大きな事ではありません。


消耗は私の娘。への接し方ではありませんから。


ただ、そこに対して傾ける精神だけは、破壊的でなくちゃなりません。


数が減るのであれば、参加する公演に対して注ぐ精神力を高めるだけです。





あと少し、私はえりぽんヲタのシス卿としてやっていくでしょう。


その次は、まー今は考えない、そのタイミングでまた、盛大に事故ったらええねん。


先の事を考えるのは、今やる事じゃないみたいですw