どぅー。



"We are Morning Musume" という20周年のツアーに結構な数で参加してきました。

私は常に娘。が大切です、正直、えりぽんや、新垣さんなんかより途方もなく大切です。

今生きてるのは娘。のおかげさまです。

私の参加スタイルとして、どうしても1推しが必要なんです。

娘。を推すのに必要なのは、推しです。

そしてこれは、娘。を推すより大切な事です。

私は、まあ色々あってえりぽんを推してます。

日々、この人の存在で元気にやってけてます。

えりぽんが卒業するその時まで、この芯がブレることは無いでしょう。

でも、とっても不思議なんだけど、どぅーの卒業はとっても重いんです私には。

まあ、そのうち訪れるまーちゃんの卒業もかなり大きな出来事でしょうがw

なんと言いますか、どぅーって加入時点から年々推し度合いが下がった人でもあるんですよ。

でも、だからって嫌いになるようなレベルではなく、相対的に興味から外れたってだけなんでしょうけど、

でも、やっぱりなんだかんだ言って、娘。のメンバーはみんな大事です。

多分、どぅーの織り成す空気感が心地よいのでしょうね。

娘。を推す以上、卒業は必ず通る道であり、加入したと同時に卒業へのカウントダウンが始まってるようなもんではあります。

加入卒業ってのは、箱を大きく動かすものですし、不安や寂しさや期待や、そういった感情の一番贅沢な創り方だと思ってます。

でも、卒業が娘。を弱くしたことは無いって言えます。

何故なら、私はエース推しじゃないからです。

エース不在でもぜんぜん大丈夫な人です。

だいたい、エースって何だよ、芸術なんだから自由なんじゃないのそれって、と思います。

ただ、人を向上させるのに必要な感覚であるのは確かだし、だから絶対に無いといけないものってのも理解してます。

えりぽんを見てたらほんとに思う、これほどまでに不器用にステージで振る舞う人を、推さないのはもったいないって。

美味しい食べ物が美味しいのは当然だからね。

これが私の推し方。

そして、これが圧倒的に私の娘。ヲタとベリヲタの感性の違いでした。

ベリは、舞波の卒業が決定的でした。

あとはもう惰性というか、舞波の亡霊を追う行為でしたしね。

結局ベリでは、私は舞波ヲタだった訳で、ベリヲタではなかった。

活性化しないというのもなんかしんどかった。

居もしない舞波をステージに見てた、Berryz工房に対してとんでもなく失礼な推し方だったなって思います。

どっかで最後の区切りを見つけたかった、そしてそれは訪れた、という事ですね。

娘。は、そうではなかった。

まあ、人それぞれでしょう、私には娘。だったというだけのことです。

私がどぅーを直接ちゃんと観れるのは、あと武道館の1公演だけとなりました。

ホールラストに行けなかったり、色々と残念ではあるけれど、武道館に入れるのは幸せもんだなって思います。

揃った10期は、もうすぐ終わります。

これも歴史です。

ちゃんと見届けないと。

そう思います。