石村舞波について最後に語っておきたい。

なんでいきなりって感じではありますが、舞波っちの誕生日を祝うのをやめてから結構時が経過しました。

私のベリヲタ時代って、結局ほとんどが石村舞波の幻影を追う行為でありました。

今でも、あれほど可憐な人は居ないと思っております。

それでもやはり私自身を石村舞波から隔絶しなきゃいけないと思ったのは、えりぽんの存在があったからなんです。

 

私の中には、ベリを美しく描くだけのマテリアルが蓄積されませんでした。

それは単純に石村舞波という存在があったからであり、あのショックから復帰出来なかったからでもあります。

 

卒業公演に参加できないという事の重要性が理解出来てるからこそ、あのタイミングで私に何も残されてない現状そのものが私には耐え難かった。

それこそ表面化はしなくなったけど、今でもナーバスになりはします。

 

初めて舞波の卒業公演の映像を観ようとした時は、余りの嗚咽により視聴続行不能になりました。

 

今でもまだ観れてません。

 

リアルタイムに立ち会ってない上に引退となれば、それはもう究極の過去です。

誰もが忘れて行く歴史となる事に対する恐怖がありました。

 

カン娘。に何があったか、太シスが何者だったのか、という事を知る方法はあるけど殆ど誰も知らないのと同じ様なものですが、特に舞波の人気の低さはそれに拍車を掛けそうで不安でした。

 

その不安を更に加速したのが、次のツアーで出た裏Dマガで積極的意図的に舞波のシーンが無かった事です。

歴史として刻まれるハズのドキュメンタリーで、その歴史は葬られようとしたのです。

だから、私は忘れることが出来ないって思ったのです。

とにかく、その存在が消えないようにしないとって思ったのです。

そうやって、幻影を追い求めた訳です。

極めて純粋であり、極めて不健康でした。

 

そうした中であっても、私を強く保つ原動力となったのはやはりモーニング娘。だった。

恐らく、卒業ありきのスタイルが私に対してマッチしているのかも知れません。

でも、そのとにかく消耗的な存在が私には生き甲斐でしたし、今でもやはりそうです。

 

決定的に違うのが、卒業があるか無いか、その話題があったか無かったか。

 

私自身がベリにどれだけ寄り添えなかったかってのは、過去のライブやイベのレポをよく読めば露骨ですが、結局私は舞波以外を慕えなかったって事です。

いくらベリヲタが嫌いでも、ベリを慕っておるならば何一つ問題になどならなかったハズ。

最終的に、もう居ないメンバーの写真を買い漁るために、既存メンバーの写真を売り払うという暴挙にも出ました。

当時まだ続いていたベリの歴史よりも、もう居ないメンバーの過去を追い求めた結果です。

段ボール箱に収まってる大量の舞波の写真は、そういった歪みの産物です。

 

ベリに向けられるハズのモチベーションが極めて低下し始めたのは、リリイベに全く当選しなくなってから。

 

私は現実主義ですが、あの時はとにかく強い疎外感を感じました、ベリからの疎外感です。

 

必死だったからこそ感じた疎外感。

 

でもおかしいでしょ、そこには既に舞波なんて居ないんだから、何故に必死になってたのか、そう思いますでしょ。

 

圧倒的に舞波ヲタだったのに、ですわ。

 

湾曲し過ぎたんです多分。

 

湾曲したのは紛れもなく私です。

とにかく、娘。ヲタの私とベリヲタ(敢えて)の私は、全くの別人て言っても良いぐらい別人でした。

 

娘。ヲタの時間に対して、どんな怒りも僅かな時間で薄められたけど、ベリヲタ(敢えて)の時間に対して感じた如何なる怒りも未だに鮮明に怒りなんです。

 

何で、何に怒ってんのか、冷静に俯瞰したら、それは怒りではなく自己嫌悪なんですけど、記憶にはそのように記録されてて、残念ながら消せない。

 

私が最後に参加したベリのライブでは、梨沙子舞波の名前を出しました。

私はあの瞬間究極的に救われました。

 

あれ以来固執が無くなり、私が接していたものは私の根幹から消え去ったのです。

 

結局、ベリヲタとして私は葬られなければいけなかったのに、死霊としてそこに留まり過ぎたんです。

ふくちゃんのベリに対する純粋さが、私にはもう微塵も無かった。

 

そして、あの頃に私を新たに侵食したのが、えりぽんです。

 

不思議なんです。

今でも不思議なんですよ、私が今まで推したどの推しにもあったものが、えりぽんだけに全くと言って良いほど無いんです。

それがどういった作用をしているのかってのは、生田ヲタ以降の私のブログを読み返すと如実露骨に書いて御座いますが、その正体については、えりぽんの卒業までもうちょっと掘り下げて考察したいんです。

 

それは、それこそ石村舞波という存在があったからです。

 

あの数年と、それからの数年。

それであっても、やはり私は石村舞波が好きですし、奥底のどっかでベリが好きです。

 

もう深く関われないですけど。

 

この私の歴史は一切として美談化出来ないです。

とにかく悲惨でした。

そして、悲惨である事は認めないといけないですね。

幻影を幻影としたのは、幻影を追う者の、まさにそいつの幻影なんです。

 

中身のあるヲタ活動は、私にはもう唯一娘。です。

度々言ってますが、私は娘。ヲタの生田ヲタです。

曾ては娘。ヲタのガキヲタでした、おこがましいですがw

要は、娘。ヲタなんです、舞波ヲタじゃないんです。

みんなが卒業しても、私は娘。ヲタです。

 

そんな私ですが、最近のえりぽんのアプローチは苦手ですが、それは現場の外の出来事です。

ライブがあれば、私は即座に生田ヲタになります。

今は、そうではないって事ですかね。

 

現場主義の所以を身をもって体感してるCOVIDワンナイン時代のBちゃんです。

 

以上、おし舞波