安倍晋三さんと民主主義と、私。

事件の全体像が全く明らかになっていない時点で、双方にあーだこーだは言えないので、私が思う民主主義と、そこに対する安倍晋三と、私の存在について記録しておこうと思います。

私自身は、やはり民主主義とは絵空事であると感じていますし、そう確信しています。

日本人は相当なおバカさんになってしまっているので、今回の件も政治家や報道は『テロ』と言ってますが、その際に『テロ=民主主義の敵』と定義してしまっているのはどうなんでしょうかね。

9.11の後、中東で『対テロ』として行われた虐殺は、その際に亡くなった民主主義ではない一般人からしたら、それはやはり『テロ』なんじゃないのかな。

民主主義というのは、あくまで構造的な存在です、それが共産主義でも、社会主義でも、帝国主義でも、それは国家の構造的な存在であり、個々のよりパーソナルな部分に於ては、そんなに意味のあるもんではない。

日本は未だに、あの戦争を木槌で延べているだけです。

日本が歪んだ瞬間はもっと前であり、その歪みは実に徐々に加わったので、殆んどシームレスに感じてる、ただそれだけです。

日本の国家構造は封建主義であったのだけど、結局その形状は民主主義に変化した。

誰もハッキリ気付かないまま西洋主義が広がっただけです。

実際、日本は近代に措けるまで大変血生臭い改革が続いた国でした。

その状態が大きく変化したのは、あの戦争に敗北したからであり、あの敗北を阻止できる国力が全く無かったからです。

日本の強みって、一体何だったのか。

戦争の歴史は語ってますが、そもそも日本は戦争が上手なんです。

ただ、その戦争の近代化を維持する資源が出てこない国だったのです。

戦争の実体は、権力ではなく常に資源です、つまり資本主義です。

日本が大陸を目指したのは、戦争を続けるための資源を得るため、つまり、燃費の悪い戦争をしなければならなかった訳です。

結果的に日本は枯渇して敗北し、理解不能な死者を出し、米国に屈服するしか無くなった。

その状態自体は今も続いています。

私は米国そのものは好きです、文化も人々も。ただ、米国のやり方にはずっと嫌悪感があります。

そういった面で、安倍晋三という人は本当によくやったと思っているんです。

日本の政治の本質は、対外的に強いかどうかだと私は思ってます。

日本国民は特に思考が浅いですから、民主主義がどうのとかをよく言いますが、結局日本の政治家が本当にやらなきゃいけないのは、対外的対話力の誇示です。

安倍晋三が本当に出来たのは、そういった面だと思います。

国内で色々あった安倍晋三への揚げ足取りは、別にそんなに問題にならんですよだって、そもそも日本の国会議員さんの報酬自体が法外に高いんだからね。

この国の今の弱点は、税収能力に対する支出のバランスがありえないって所。

支出のうち議員報酬がどのくらいか、そして、なんでそんなに議員報酬が高くないといけないのか、それを本気で考える国民が増えたら、まず自分への保障の部分で甘口な事を言う政治家への投票ではなく、政治家自身が自分に対して極めて辛口な方針を打ち出せる政治家への投票へと仕組みが変わるでしょう。

そうなれば、そもそも選挙活動中のセキュアへの投資も増えるでしょう、だって、議員報酬をちゃんと見直してゆけば自ずと、国民への保障の予算は成立するんだから。

 

安倍晋三が亡くなった事は、私自身とても悲しいです。

近年で一番好きな政治家さんだったから。

当然、亡くなったって何も感じない政治家さんは沢山居ます。

ただ、やはり民主主義を掲げて選挙活動をしなきゃならない仕組みがある限り、今回の安倍晋三の死は、構造的に防げないって私は思いました。

スナイパーの信条や安倍晋三の信条は関係無いんです、ただ、この国の今の平和の根元が、耐え難い敗北を土台にしており、その敗北の根元が、民主主義至上主義の流れであった事は、未だに日本に米軍基地が沢山あり、現職米国大統領が広島に来ても歓迎しなければならない状態から明白です。

今の民主主義は、お互いに銃口を喉に刺し合って成立させているものであり、つまり、抑止力型民主主義であり、思考型民主主義とは正反対にあります。

思考型民主主義が進めば、自然と民主主義の構造は変化して、怠惰では無くなるでしょう。

そうなった時私は、民主主義が成立した事を祝いたいと思います。

 

安倍晋三さんが亡くなって本当に悲しいです。

スナイパーの信条のその到達については、明確になってから判断したいですが、結果的に切なくなるような気がしています。

 

以上。