えりぽんは卒業しました。
無咀嚼状態ですが、えりぽんの卒業公演に参加してきました。
実感が全くありません。
明らかにいま感じているのは、えりぽんがとてつもなく遠い場所に行ったという感覚です。
私がえりぽんヲタのシス卿として過ごした14年半のうち、私がえりぽんに関われたのは極めて僅かです。
極めて僅かであろうと、確実に里沙姫より深く関わったのは確かで、確かに私は何かをえりぽんと共有しました。
それは、多分もう終わったんだろうなと。
悲しさやらは、殆んど無いんですよ、多分、十二分にえりぽんはやってくれていたし、十二分に楽しかったからでしょう。
あれ以上はあり得ない。
娘。ヲタとして、という意味では。
今後のえりぽんの活動が、私の観たい景色となれば、そこに私が居る必然性はあろうが、今の段階でそれを決める事は出来ないですね。
公演は、私が想像していたよりも簡素に感じました。
ショボかったのではなく、えりぽんらしい、という意味です。
深い感謝、そういうもんです。
さて、そんな中先程、あかねちんと横の卒業も発表されました。
大規模な卒業ラッシュです。
卒業は必ず訪れます。
卒業そのものに対して何らかのショックを感じる事はまぁ、私はもう無いでしょう。
これは娘。の消耗的だが結果を最大限に残す代謝行為です。
最早、卒業メンバーの卒業理由や信条は関係ない、娘。のための行為です。
娘。が続くための、儀式です。
あゆみんが言ってました。
『卒業の無いグループならいつまでだってやれる、それでも、自分が娘。に居られたのは卒業と加入があったから、だから卒業は素敵だ』と。
そう思います。
私の娘。ヲタとしての軸は、今は間違いなくめいです。
ただ、この軸を確固としてしまうのは避けたいのです。
これは恐怖心ですね。
んー、しっかりダークサイド入ってるじゃないかワシ。
昨日ね、めいのバーイベ行って来たのですよ。
まぁ、バーイベって多幸の中でも突出した多幸ですよ。
そんな空間で私が体感したのは、割とすんなりとした『推し』という感覚でした。
この感覚を獲たのは、もしかしたら初めてなのかも知れません。
バランスと言うならば、これはそうなのかも知れないけれど、何かが欲しいとも思う。
何となく、闇落ちしたい自分が居るのは、居るね。
えりぽんヲタとしては、強目に闇落ちしましたから、まぁそこまでは無いにしてもね、バランス良く3人に闇落ち、これが上手く行けばベストです。
そこ目指します。
とにかくまあ、えりぽん、ありがとう!!!
卒コンの。
チケットが届きました。
マジで天空です。
前回の武道館よりマシなのはとにかく横上じゃない事。
これぐらいですね。
大阪でモーメント集中力高めといて良かったよ、大阪ホールラストめちゃくちゃ集中したから何度かコンタクトは取れたもんね、そもそも武道館は8割がクソ席ですから!
私にとって武道館は聖地です。
それとこれとは別です。
えりぽんの卒業を、見届ける側になりました。
距離は関係無いと言えるのはホールまでです。
武道館はホールとは違いますからね。
今までちょっと良い思いをし過ぎていたのだろう。
最近うまいこと武道館で帳尻合ってきてます。
失うのではなく、得ない。
得ないものは失わない。
もうえりぽんと目が合う事は無い。
これ以上得られない事は、先へ進むのには好都合です。
私は、ここまでえりぽんヲタのシス卿というキャラクターでやってきました。
そのまま、卒業の瞬間を見届けます。
昨日、めいの個別トーク行って思いました。
私の次の住居が、ちゃんとあるなって。
娘。ヲタとして、まぁ次の住居は1つではないけれど、ちゃんとあるなって思いました。
結局昨日は、めい、よこ、はるしゃん、あこちゃんとお話しできました。
えりぽんのレーンを遠くから眺める事もしませんでした。
通り過ぎたら後悔もクソも無いと、舞波っちの事で脳細胞ズタズタになるまで刻み込んでます。
あとはもう、クソ席天空の私達に爆風かましてくれると期待だけしてます。
穏やかに見送る気持ちはありません。
ちゃんと感情に刻みます。
遠くても、空間としてそこに居られるんです。
あの箱の外は、私の感覚ではもう次元違いですから。
14年推した、この結果が残る。
という事です。
あと1週間。
色々と必死になる。
以上、おしめいちゃん。
えりぽんの娘。最後のホール公演に参加して来ました。
この場所でホールラストを迎えたのは、里沙姫とみっちゃん以来なんです。
そして、その場所で卒業公演を迎える。
これを偶然とは私は思っていません。
意図を感じるけど、言わない。
それが生田衣梨奈なんです。
現状、最後の個別トークは確保出来ていません。
まぁ、多分もう無理かな。
前の個別トークで伝えておきたい事は伝えられたと感じてます。
最早無感情の極みに近い場所で吊るされた餌の残部です。
こんな快感はなかなか無い。
色んな事が出来なくなってる時代です。
便利さは人々をデオドラントの坩堝に沈めてしまったのです。
多様性は、アウトローやグレーを殺害しています。
果たして幸せな世界が訪れてるのでしょうか。
私は、根本的に幸福を全く信じていないし望んでもいない。
裏切らないのは闇であり、苦痛であり、破壊です。
期待とは、リリースされないクラッチペダルのように働かない機械のようなものです。
ただ、私が望む幸福があるとするならば、それは、出切るだけ永く娘。ヲタである事。
決して望みの叶わないこのステータスが、どうか『満たされないから辞められない』という状態が、なるべく永く続いてほしい。
私はえりぽんを推してる間に、本当に山程、数え切れない物量のチャンスやモーメントやステータスを捕り逃して来ました。
そして私に残ったのは、僅かに獲得したえりぽんを推して得られた、莫大な宝です。
物的には、飴とサインボール。
私にはこれらは永遠の宝物です。
そして、この二つはバーイベで獲得したもの。
慈悲の無い結末だよな、私はその場所にもう行けないって思ってしまったのに、その場所で受けた慈悲は私の宝となっている。
だが、私に残ってる、何よりも膨大な宝は、ライブの中で得た数え切れないレスポンスであり、表現的会話の数々です。
こればかりは誰にも分かち合えない。
里沙さえも、そしてめいでさえも。
この宝が、まさか私がえりぽんとお別れするために一番必要なものだなんてね。
そんな事がグルグルと回り続けた、そんな大阪でのホールラスト公演でした。
私は、えりぽんヲタであれば向かう場所ってのをなるべく避けて来ました。
何故ならば、私は娘。ヲタだからです。
娘。ヲタとして、推しの凱旋公演に行ってました。
それはこれからも同じです。
随分前から、えりぽんを極めて遠く感じています。
遠くても、不安が無くなったからです。
つまり、独占欲が消滅したのです。
ルーティンの中で、必然をこねくりまわす推し方を閉じた、という事なんですけどね。
今、私はえりぽんの卒業公演に対して、2つの別々のフェーズで真逆に想定を扱っています。
一つは、吸気不足の不完全燃焼を目の当たりにする未来、もう一つは、全てが想定と噛み合わない最高の空間という未来。
双方が成立する事を願っています。
来週の個別トーク、えりぽんのが無い事より、めいもほまれも無い事、これがちょいショックですが、はるしゃん、あこちゃん、よこ、そしてらいりーはあります。
未来は私の背中にもう迫ってます。
えりぽんが卒業した、その二日後のめいのバーイベ、当たってしまったのです。
何が襲ってくるのか、とても楽しみ。
脳の切り替え作業間に合うか心配ですけど!!!
以上だ!
えりぽん最後の凱旋公演に行って思う事。
えりぽんの娘。としての最後の凱旋公演に参加してきました。
カラフルキャラクターから、約13年間通い続けた福岡公演、そこが推しの凱旋ならば参加する、そのスタンスでずっと通った福岡でした。
えりぽんに対して疑問や不満が無いって言うのはまるっきりウソです、でも、私には極めて大切な推しなのです。
えりぽんが娘。を卒業するという事を実感し始めたのは、このツアーの札幌公演の時でした。
夏以降、私のメインの推しの一人となるめいの凱旋、そこに夏以降はえりぽんは居ない、という認識が実感を目覚めさせたのです。
めいの事をMCで、『めいちゃん』と呼ぶえりぽんの声を、札幌ではもう聴けない、その時間はもう終わったんだと、終わってから気付きました。
卒業は喪失ではなく変化です。
だから喪失感ってのはやはり無いのです。
私の最大の推しはやはり娘。そのものですから。
それとは違うフェーズで、14年半という期間観続け、聴き続けたえりぽんを、私が終えないといけない理由はあります。
それは里沙姫の卒業の時と同じ理由ですが、同じ文言で語れないものでもあります。
えりぽんが最後の凱旋公演を閉じるにあたって語った言葉、涙というのは、私が14年半えりぽんを観てきた、聴いてきた、感じてきた時間そのものです。
期間は志とは無関係ですが、そこにあるのは卒業の寂しさや悲しさや、最後の凱旋を終えた事の感情ではなく、14年半も続いた時間への感情です。
里沙姫やさゆやあゆみんと同じく、同期全てが卒業し、それを閉じる事となるメンバーの卒業ってのは、やっぱり少し意味が違う。
重さは同じだけど、意味が変わるんだよね。
遂に、9期を閉じる時が近づいているのだなと。
終わったり消えたりはしないけど、その実態的存在が消えるのです。
影響力は残っても、やはり居ない。
そうなる時まで、本当にあと僅かです。
その実感があり、それでもやり遺しを微塵も感じない。
何なんでしょね。
残りの公演3つ、時間で言うならおよそ7時間、この中でえりぽんの歌声を意識的に聴ける時間は、恐らく30分無い訳です。
私が一番好きなえりぽんの部分とは歌声です。
マイノリティですね。
でも、これが私のえりぽんを推す上での最大要素です。
加入した頃から今まで、一貫してえりぽんの歌声がコアにありました。
少ないチャンスだからこそ集中して聴けました。
故に、だろうけど、バーイベのブルジョワリに胃もたれしていました。
そう気付いてから、えりぽんの歌声に関してはターボではなく自然吸気で味わう事を学びました。
来週でホールセットは終わり、そしてそこに参加出来る。
より強く実感するために、参加する。
ホールラスト入れるのはマジで感謝です。
そこから1ヶ月も開くのが、ちょいとしんどいですが。
現状最後の個別トークも手元には無いですし、最後のバーイベは回避したし。
まぁ、仕方ないねw
そして今日はりほちゃんのバーイベだぜ!
夏のツアー行けないからしっかり吸収しないと!
以上、おしめい☆
おんちゃん、えりぽん、拡散型SNS。
アップとおんちゃんの間で、契約的な問題があったという事で、おんちゃんがこのタイミングで活動休止となりました。
本心を一文だけ書きます。
『がっかりです。』
おんちゃんに対して、でもなく、えりぽんや小田に対してでもない。
シンプルに、拡散型SNS社会に対して、です。
私はそもそも、この拡散型SNSというメディアには真っ向から敵視の姿勢です。
理由は、そこに確固たるエビデンスを持たないから。
今現在、おんちゃんとアップの間で明確なのは、契約的にいわゆる『裏アカウント』が禁止の状態である事。
その認識に対しておんちゃんが甘かったと言うなら、そうかも知れない。
でもだ。
拡散型SNSの殆どの中身を見たら分かる、あの場所はストレスや悪意の巣窟であり、思考も議論も止める力に溢れている。
アーティストがアートを手軽にアップロード出来るというメリット以外は、特に社会的マグルやアンチアートの領域では、特段何も生産されていないし、生産的議論も起きない。
客観的事実も無い。
ネット社会のマイノリティのくせに、ネット社会の中核のように振る舞っている。
余りにも取るに足らない領域が、こうして私の人生である娘。の、生産的活動にまで土足で踏み込んで来た。
私はハッキリと言いますが、ネット社会の利点というのは、より賢者である者が、極めて正しい情報を、知るべき者だけに確実に提供するための場所という事であり、そのために必要な労力は、紙や口伝ベースの時代より困難であるという事。
この縦長の画面から湧き出る、勢いのあるバカバカしいものは、全てに全く価値が無い。
社会の価値を下げ、思考領域の人間を減らし、よりコントロールの容易な社会を構築したいと考える者の網にまんまと掛かる雑魚に、みんなが喜んでなろうとしている。
愚かしい事に、おんちゃんはその網に自ら掛かってしまい、現実社会で活動休止という状態になった。
物事は常に表裏一体だ。
だから、今回のおんちゃんの今の時点の結末は、表となった。
決して裏ではない。
おんちゃんは私にとって極めて大事な娘。の15期のメンバーであり、めいとほまれの大切な同期です。
客観的にはおんちゃんの裏アカウントの投稿は『日常の吐露』だけど、組織的には内情であり、プライバシーであり、決して表に出ない情報でした。
アップとしては、ここが一番契約的な問題な訳ですね。
メンバーやヲタクが傷付くというのは、パーソナルな事で、人によっては傷付かないし、場合によっては喜ばしい事でもある。
これがパブリックになる、という事がダメなんです。
いかに、契約の外側の人が身勝手か、というのは、年始のおんちゃんの件、そしてほぼ同時に出た小田の件でも明らかです。
中身としては、どちらも悪くない。
それが本人ではない所から出てくる、しかも報道関係者(アウトローを含む)以外から出るというのが、大問題な訳で。
私自身は、今まで拡散型SNSというものにある程度『必要悪』を感じていたので、ある程度甘んじておりましたが、この後片付ける出来事が終わったと同時に、公的にアンチ拡散型SNS側として立場を明確にします。
そして、これも改めて明確にしますが、私にとって、娘。にやってきた全てのメンバーは、極めて高いリスペクトの対象です。
誰一人として不必要ではない。
やってきたその日から、娘。を去るその時まで、何よりも大事な存在です。
その尺度にパーソナルな格差は一切ありません。
この件で仮におんちゃんが娘。を去る事になろうと、残ってその天寿を全うしようと、居てくれる限りは大切な存在です。
そして何より、このツアーは私の推しであるえりぽんの卒業ツアーです。
私に出来る事は最早、今決まってるツアーの公演への参加と、武道館での卒業公演への参加です。
卒業前日にあるえりぽんのバーイベについては、応募もしません。
これは決してその場所に興味が無いからではなく、私が、えりぽんヲタのシス卿だからです。
えりぽんヲタとして、どうしてもとことんにダークサイド堕ちしたい、という欲が、バーイベで救われては意味がないと結論させている、という事。
あの、えりぽんのバーイベの多幸感、それに私がもう耐えられないんです。
私が娘。ヲタなのは、今生きてるからです。
えりぽんのためではない。
えりぽんが心底愛した娘。への感謝のためです。
根本的に私はえりぽんヲタではなく娘。ヲタだから、えりぽんが娘。を去るという事柄は娘。で感じてこそ意味がある、という感覚です。
バーイベってのは、去年のめいのバーイベに行っても感じたけれど、やっぱり底無しに多幸感に溢れる場所です。
簡単に言葉に出来ないけど、不自然さの極みでありながら、それ以上は存在しないピュア。
今不安なのは、私がめいに対して、どこまでそのアンビバレンスを受容出来、耐性があるのか、という点。
バランスが難しいです。
そんな事も含めて、これからは3+2のスタイルを探ろうかと思っている次第ではあります。
拡散型SNSと生産的に競合するのは、この件を限りにあり得ないと結論された、それが私がおんちゃんから貰った宝の一つです。
確実におんちゃんの私の中での位置はベクトル変更されました。
最後に、やはりフランスは嫌いだ。
私はモーニング娘。が好きなんです。
菅井先生の尊いお言葉です。
6期オーディションの際に仰有ってました。
さて。
私が初めて参加した娘。ツアーの初演は、カレーです。
そして、カレー以降、初演には必ず参加してきました。
いつからか、初演は私の娘。ヲタとしてのステータスでしたが、この度記録がリセットされる事になりました。
よりにもよってえりぽんの卒業ツアーの初演に、入れませんでしたw
ま、尽力はある程度やりましたが、2日目の昼に参加という運びとなったため、これを以てツアー本体の参加(予定)が確定しました。
八王子二日目昼(おし舞波)
愛知昼夜
札幌昼夜
福岡昼夜
大阪ホールラスト昼夜
9公演。
思うてたより入る事になりました。
さて。
Mighty Magicに参加してきました。
まだ、えりぽんの卒業が実感出来ておりません。
私の娘。ヲタ人生に於けるとても大きなイベントなのに、どういう事なんだと。
セトリやらなんやらのあたりは、まぁ黙っておきます。
とにかく、私は今のところ大好きな構造のツアーだと感じております。
まだ何かあるハズだと、そうも感じております。
初演じゃない初参戦で、正直調子がおかしいですね。
確実に、何かが抜け落ちた感覚があります。
しかしだ、それは間も無く『時』という罪深いエレメントが濾過してしまうと思います。
今は忘れるとしよう。
さてさて。
まだ今回のツアーのほまれを観てませんし、今年まだ観てませんが、コアの推しに加える事になりそうです。
圧倒的な理由は、キャラです。
これは多分、この春ツアーの後で生じるであろう私の中のギャップに全く以てフィットするのがほまれだと確信したからです。
めいは、間違いなく今の私の根幹の1つですし、はるしゃんは脇を固めてくれています。
そのフェイズではなく、間違いなくこの1年で私から抜け落ちる部分の、正にスペシャルフィットの煉瓦みたいに感じているのが、ほまれ、という事です。
推しというのは、私にとって最大値は『モーニング娘。』そのものです。
だから、メンバーの誰であれ、既に2推し状態ではあります。
そこをスタートラインとしたならば、そこにこの数年えりぽんと共に君臨するめい、突然現れた文字通りの小動物のはるしゃん、キャラ枠を埋め尽くせるほまれ、春ツアーが終わればこの三人娘。を私の『推し』と呼ぶ事になるかと思います。
当然ですが、その他のどの現メンであれ、どこかのフェイズでは必ず私の『推し』です。
全てのメンバーが私には大切です。
この感覚は、実に娘。ヲタとして参加してきたこの二十数年に於いて、何らの変化もありません。
娘。ヲタとして、現役メンバーは全てが私の推しなのです。
フェイズが違うっちゅうだけです。
菅井先生の、あの尊いお言葉に、濁りなど無いのです。
でだ。
八王子の公演に参加して、えりぽんに対して少し感じた事がある。
卒業の実感はこれっぽっちも無かったけれど、明確に今生の別れが近付いてると感じたのです。
不思議で仕方ない、卒業するっていう実感は無いのに、もう会うことも話す事も無いって感じるのは、私が本当に娘。ヲタで音楽ヲタだからでしょうね。
その線にえりぽんがやってくるビジョンが、やはり私には全く見えないのです。
りほちゃんについてはマジで奇跡的だと思ってるし、今のりほちゃんの音楽に対するスタンスが理想に近いのもある。
その線にやってきた、初めてのOGです。
だから余計にね、恐らくえりぽんの卒業公演後は、何らかの臓物を失ったような感覚にはなるんでしょうね。
新しい臓物が必要になるのやも知れない。
だから、推しの頂点部分を3名ぐらいにしておきたいのです。
スタンスとしては、必要に応じてその『臓物』にあたるメンバーを迎え入れる、という姿勢かな。
コアに臓物は置かない。
つまり、今後は頂点推しの枠とは別に臓物推しの枠が必要になるっちゅう訳ですね。
今は明言しないけれど、何となく誰ってのは、あるにはあります。
いまのところ、全ての条件を満たすメンバーってのは居ません。
だからおもろいんですけどね。
臓物メンは、一体誰なんだろう。
てかどっちなんだろう。
2名までは絞られております。
どっちかなのか、もう両方なのか。
今は分からないです。
あと、えりぽんの写真集が出る、というニュースが出て、ジャケとかが公開されて思った。
私はマジでロリコンだなと。
破綻してんなと。
無理とは感じないんだ。
ただ、あー、私はロリコンだなと。
だってしょぅがないじゃないか!!!
そしてやっぱり、この写真集の感想をえりぽんに伝える術が無いなと。
どのみち、私は写真集の完読に半年以上掛かるので。
ちなみにこの感覚は、里沙姫の卒業後、姫が事務所を出られた時に強く感じた感覚に近いのもです。
伝える術が無い、という感覚。
私が自身で維持出来るFC参加はハローで精一杯ですから。
寂しいとか悲しいより、漠然とした喪失が待ち構えてるという認識です。
まるで、まともな感情をどっかに忘れてきて、めっぽう探す気になれない、という様な様子ですね。
最近ね、感情の起伏が無いんです。
ロジカルが過ぎるというか、世の中の騒がしさが染み込んで来ないというか、どこ行った私のそういう感情w
ただ、ライブの最中だけは戻って来てるのですよ。
記憶もあるのですよ。
感情が続かないんだよねー。
もっと言うと、不安も恐怖も余り無いし、怒りも。
何も感じない。
という曲がありますが、そんな感じです。
なんにせよ、あと多分9公演、私はこの存在を、えりぽんヲタのシス卿という存在を、あっちゃまーと言えるぐらい全うしようとします。
はい掛かって来なさいえりぽんよ。
はいそこまで、というラインが、間も無く明確になるんでしょうから、そこまではスロットルペダルをベタ踏みですから。
固着は、してないよ。
大丈夫。
あゆみんの卒業公演に参加してきました。
順序が逆転していますが、ようやく咀嚼出来てきたので記録致します。
私にとってあゆみんの存在とは、えりぽんが居なければ推していた人です。
しかし1度も2推しにすらならなかった不思議な方です。
あゆみんの卒業公演を言葉にするのは簡単ですが、やはり意味を為さないので、あゆみんの居た私を語りたいと思います。
あの加入発表の日、愛ちゃんの卒業前日、5期がステージに揃った日でもあり、何かとザワザワした日でした。
あの年は東日本大震災の年であり、私の2つ目のコアである9期の加入した年でした。
あらゆる歪りの中、あの時点で私は長年の推しである里沙姫に並ぶ位置にえりぽんを置いていました。
あの時既に自分の中では、長いであろう将来を、少しばかり感じていたのやも知れません。
何となく、えりぽんがすぐに卒業する未来を感じていませんでした。
そこにまるで体当たりのように入って来たのが10期でした。
恐ろしいのは、この10期加入から明確なライブパフォーマンスである本体ツアーまで半年あった事。
あゆみんは、私が思い描く『理想』そのものに一番近いメンバーでした。
故に、推しにくかった。
殆ど完璧なものは予定調和を越えないという私の思想によるものです。
しかし、その流れが大幅に変わる作品がありました。
『lilium』
実際のところ、あゆみんが私に抉り込んで来たのは『リリウム』という舞台の存在が非常に大きいと思います。
それまで長い間、私の中での舞台作品のパーフェクトは『江戸っ娘。忠臣蔵』に於ける里沙姫の涙でした。
ここを超越する事は無かったのに、いきなりこの舞台作品は私の中心にやって来ました。
そして、他の全てのキャストと共に莫大なイメージを炸裂させたのが、あゆみんでした。
恐らくこの作品にえりぽんが参加していなかった事も影響しているでしょう、舞台作品に推しが居る事は、推しへの感情移入によって解釈が濁ると思うからです。
とにかく、『lilium』は圧倒的でした。
そして、次にあゆみんが私を圧倒したのは他でもないDVDマガジンの存在です。
今でも殆ど毎日何らかの形でDVDマガジンを摂取していますが、どの作品でもあゆみんの存在感は強烈でした。
表も裏も、あゆみん目的で観ると言っても良いぐらいです。
あゆみんとの最後の個別でも、結局その事を伝えました。
ダンスは私には正直よう解りません。
音楽なら豪速で咀嚼するのですがw
だからかも知れないけれど、私のあゆみんのイメージはダンスよりDVDマガジンや舞台(演技)でした。
ちなみにDVDマガジンをえりぽん目的で観る事は余りありません。
全く無いんではないけど、比重は低め、でも大尊敬してます。
はい。
あゆみんの卒業公演に参加したのに、あの公演の事を書かないのはさすがに無理があります。
なので僅かだけ触れます。
公演の構成はツアーのそれにプラスアルファされたり、周回ステージを使ったパフォーマンスがあり、まぁ横浜アリーナならこうなるわな、という物でした。
客観的な印象で言うならば、NESSのそれにかなり近いなと思いました。
私は殆どライブの映像作品は観ない人です、特に自分が参加した公演については観る気が余り起きません。時々観たりはしますけど、没入出来ないんです。
あの臨場感は、現場でなければ決して体験出来ない。
だからこそ、一番気になったのは、最後にあゆみんとメンバーが周回しているあのとてつもない立体感のある瞬間を、関係者席を観る事で費やす人の神経です。
当然怒りは無いですよ、でも、あー損してんな、とは思いました。
純粋なノイズでした。
その事で自分の体感の時間を濁らせる事は無かったけれど、まぁ、思う事はあったよね、という感じです。
どちらにしても、あの空間に直接居られた事は生涯の宝です。
そんなあゆみんの卒業直後の春ツアーでえりぽんは卒業しますが、『あー、そうか。』という感情でした。
驚きも悲しみも殆ど無いです。
込み上げるものはある、それは14年も推してるからです。
私は推しがとてつもなく長く在籍した人が多いので、実際の推しは少ないという状態です。
あっちゅうまだったのは、舞波っちぐらいだし、在籍中は公然推しでは無かったし、そういう意味だとやはり、娘。での推し2名は長い。
でも実際、その傍で私に体当たりしてたのは、間違いなくあゆみんでした。
昨年のめいのバーイベにあゆみんが来てて、なんか嬉しかった。
私は青も着ないし振らないけど、高リスペクトな方でした。
これからのあゆみんの活動がどうなるのか、これはやはり私にはそこまで重要では無いけど、これからもあゆみんはDVDマガジンで私を魅了するでしょう。
特殊な『推し』でした。
ありがとう。