阪和線のカス☆
見事にオレの動きを阻止しようとしますね阪和線様。
そんだけ止まるんなら運賃下げないと利用してやりませんよっと。
で、慣れない南海本線で移動です。
実は、南海経由のほうが50円安くて10分早いんだなこれがw
さて、明日明後日で長かったツアーが終わります。
気分的には3/19にスタートしてるので、約3ヶ月と1週間です。
そして、予定的にも約3ヶ月と2週間ぶりの座間です。
ベリタイ初演の座間以来なんだよね、座間って。
もっと言うとベリタイに到っては終わった感が沸かないのだよねw
初演を経て、NHKホールというイメージだったもんだからw
全ては娘。初演が大宮になった故のプラン変更です。
まぁ、不可抗力ですね。
自力不足とも言えるけど、自分の予定の優先順位を、自分のテリトリーで守ったまでで、特に出っ張ったり引っ込んだりせず、まぁフツーに、、、
行為はフツーではないけどなwww
それ以前にフツーが存在すらしないんだからフツーってナニって話か、そういうコトか??
最近余計に納得しまくってるんだけど、今のところ私は『フツー』の人間に出会っていないと思うのだよ。
人間は全てどっかが標準ではないハズであって、標準自体が実際に標準という言葉の意味するトコロと違ってるし、そもそも標準というものが最適という意味でもなく、むしろフツーではない場合もあり、なんてコトを考えると、自分の尺度を基準にして判断してフツーかどうかがフツーであるならばだよ、フツーが人数分存在する訳だから、現実的にはフツーは存在しないってコトだわな。
だから、言葉として『フツー』が『大多数』を意味しないケースが多様化した場合、それは『フツー』の死滅を意味していて、、、
同時に、正義や道理も死滅していってると感じるのだけど、その圧力たるやもうハンパ無いと、そう思うのだよ。
なんかでも、それを認めた上で、挑みたいと思える部分が、まだこの世界にはあると思うんですよ。
ただ、あらゆる考えの中で、自分の意志が反社会的と自覚出来る場合、必ず起きる矛盾があって、それは、自分の意志そのものを否定しなければいけない場面が訪れるっていう部分なんだよね。
そういう場合、あくまでも自分の意志を貫くなら、間違なく自分を否定しなきゃならなくなる。
それ故に、その意志を迂回してしまうばっかりに、意志の純血要素が薄くなる。
薄くなった部分は、当然ながら過大印加で補わなくてはならん。
時代が時代ならそれは即ち『自決』だわな。
だが、今の時代、それは余りにもナンセンスと思われてしまうし、実際にナンセンスと私も思う。
色んな方法を考えてるけど、なかなかその答えに辿り着かないんだな。
きっかけすら見えて来ないんだよね。。。
しかし、私がこの時代に生きて『ハロヲタ』をやってるそのコトは、決して時代の流れの本線じゃないと思うし、これ自体は容易なコトではない。
むしろ面倒なコトのほうが多いけど、だからこそ続けられる。
そうだろ? 現役諸君!
あと1時間でバスが出ます。
疲労困憊だからワープ確実だぜ!