日本・ドイツ・アメリカの曲がり角と、ロシア・ウクライナの洞穴について。

私が個人的に長いこと調査して考察してきた結果ではありますが、特にヨーロッパの産業革命を経た後の鉄金属的な戦争の動機は、単一的に『資源』と言えます。

そして、昨今行われているロシアもウクライナの間の戦争もまた、資源戦争であると断言します。

理由は、特に大東亞戦争の構造と同じく、当事者の国ではなくその周囲の国の動機がリアルタイムとして大きく語られていないからです。

例えば、WW2の勃発はドイツによるポーランド侵攻と言われており、日本のそれは真珠湾攻撃と言われておりますが、そうなったきっかけが則ち本来の開戦原因であるという私の考えから、それぞれの勃発の起源は前回の戦争の結果であると結論されます。

ドイツはWW1の敗北により多額の負債があり、国民は貧困に苦しめられていた、がしかし世界的な大恐慌の煽りを受けた周囲のヨーロッパの国を後目に雇用を拡大していち早く大恐慌から脱出しました。

国民は絶望から急上昇し脱却した指導者を崇め奉る。

勢いのついた泥団子が急斜面を転がり落ちたあと、その勢いで登るのは斜面です。

何よりもドイツが一番欲しがったソビエトとはどういう国家なのか、それは、莫大な資源です。

日本人には到底理解できない広さと歴史の長さを平然とポケットに入れているソビエトは、そもそもヨーロッパから見れば桁外れに広大な大邸宅です。

手に入れられるならそうしたいと思うのは当然。

では日本の戦争とは何だったのか。

これは則ち、日露戦争日中戦争の間に入ったアメリカとの酷い摩擦によるものです。

中国がアメリカを後ろ楯に日本に要求した内容が、資源的産業的に不平等であった事が、結果としてあの戦争を引き起こした訳ですね。

その間、ヨーロッパとアメリカ、ロシアと中国とアジアの関係性は目まぐるしく変化しておりましたが、結局私が辿り着いた結論は、要は資源に関する摩擦が引き起こしているという事でした。

戦争ってのは現在の日本人にとって究極的に絵空事ですが、それはGHQの尽力によるものであり、良くも悪くも結果を残しています。

それは、『戦争とは悲しい出来事である』という刷り込みが、延長線上に『フィジカルな暴力は悪である』という思想を与えたという事実が物語っております。

この『フィジカルな暴力』が悪であるのに対し、言論の自由という、いかにもあやふやなワードを崇め奉り『アンフィジカルな暴力』を不問とする風潮が、ネット社会で不確かな言葉の暴力を正義とする状態に陥ったと、私は考えています。

『フィジカルな暴力』とは一体何なのか、私に言わせればそれは虐待、肉体的ないじめ、過酷な労働の強要、満員の通勤列車、ボクシング、フェンシング、相撲、レスリング、銃殺、刺殺、撲殺、爆殺などであり、ルールがあろうと無かろうと、肉体的な組織に対する破壊行為を全て、そう呼ぶと私は考えています。

なので、私はそもそも『フィジカルな暴力』について全否定は出来ません。

ですが、『アンフィジカルな暴力』として言えるあらゆる事象は、決して治癒しないものが多いが故に、『フィジカルな暴力』よりも悪辣であり、私は否定的です。

例えば、罵倒、否定発言、恫喝、不安煽動、集団強要、口喧嘩、睨む行為、無視する行為、等です。

言葉っていうのは、人間に与えられた最も洗練されたアイテムの1つであり、非常に多様性の高いものですが、時間軸に対して減衰効果の少ないものでもあります。

例えば、アメリカが無意味に落っことした原爆によるフィジカルな暴力の効果は、数十年でほぼ減衰しましたが、あの行為に関わるナショナリズムによるアンフィジカルな暴力の効果は、一切減衰していないばかりかむしろ増長している部分もあります。

言葉や態度というのは、暴力を超えて人間を侵食し破壊するものなのに、最近は特にこの言葉が無責任に独り歩き、むしろ疾走している。

端的に多様性というワードに惑わされ、満足してしまう人間が多ければ多い程、争いの原因は多様性を持ってしまう。

ウクライナとロシアの戦争を外側から見たり聞いたりする日本人の感覚では、それは戦争であり、報道はナショナリズムの面でしかそれを伝えないので、実際は何なのか明確に知ることの出来る日本人は非常に少ないです。

でも、よくよく調査すれば、結局この戦争もまた、資源戦争です。

日本はそもそも資源の無い国であり、攻撃される理由が殆んど無い国家です。

日本の意味は、太平洋とアジアに於ける中継拠点であり、それ以外の意味はありません。

日本が大政奉還の数百年も前からどうしてアジアの大陸を欲しがったのか、

それはつまり、資源が欲しいからです。

国家の安定に一番必要なのは、金の前に資源です。

日本の資源とは、私はそれは対外的平和状態であると考えます。

この資源が尽きなければ、日本は攻撃されない。

でも、大陸や大国、大陸の小国は違う。

ずっと緊張感がある。

それらの国には、対外的平和状態という資源はありません。

だから、物的資源を頼りに国家を成立させなければならない。

日本が大東亞戦争で勝利する可能性は、最初からゼロでした。

それは、圧倒的に広大な領地を持つ国と戦争を始め、長期に渡ったからです。

 

さて。

 

もう結果は出ているのではないのかな。