葵の御紋


日本は変わろうとしている。



そうかな?


ありえません。





私は、国民の権利として与えられている選挙権を行使したコトがありません。


理由は簡単で、どの政党にも頑張って貰えないからです。


政に興味が無いのではなく、政を全うできる勇気のある御上が居ないから、希望を託す気になれないのです。



日本という国家は、その仕組みが共産主義的且つ社会主義的な国家で、民主主義という看板は占領下国家としての建て前。

抑圧力とカリスマ性が皆無のため、国民が民主主義のラベルを名札に貼り付けてウロウロしている、正直、タチの悪い国です。


そこへ更に、日本人の国民性である世間体が加わり、現在の日本国は修正不可能な状態に陥っています。


ちなみに、『日本人の国民性である世間体』とは、大多数の意見が『良し』とするものに反する状態を恥ずかしく感じる、居辛さを感じる若しくは感じさせるコトを言うものであって、倫理や正義とは無関係なものです。


その点で言うなら、日本人はもはや『日本人』で無く、極めて自堕落で粗野で平和ボケな『生き物』です。


社会の姿すら、その色形は不明瞭で、その否定的感覚の解決方法すら不明瞭なもので、その空気は残念ながら通常の義務教育期間中に見聞きする社会に広まっており、大人にならないまま放り出されて、そのまま何も考えないでいた人々から生産された子供に、この倦怠感がばら蒔かれている、、、


それが『現代日本』です。





昔、ある警察官に尋ねたコトがあります、『何故警察官になったのか』と。


帰って来た答えは、『正直、カネのためです』



私は、正義より金やらとかが大事な人々に、自分の何かを任せる気にはなれません。


国家公務員は、収入の安定性と引替えに、自らの命を国家に捧げ、国の掲げる正義のために邁進するべきだと思います。


もちろん、国家公務員の全てを否定している訳ではありません。


問題は、国家が国家公務員を甘やかしているトコロでしょう。


私は、国会議員を筆頭に、政治家の給与を血税で賄うのは間違いだと思っています。


何故なら、政治家の義務は政の滞り無き全うであり、血税による飲食ではないハズです。


国民の義務は憲法の尊守であり、決して、政治家を養うコトではないハズなんです。


実際は、国民がとんでもない税金を払い、その結果として、政治家の喰う河豚やワインを買い与え、立派な家に住ませています。








さて、





選挙権があったとして、このカリスマ性の無い政治家達に、国家の未来と自分の命を託す一票を投じる気分になれるでしょうか?





ワタシには無理です。