仕事を選ばない生き方。



資本主義ってほんとに嫌い。


結局そこにあるんは何ですか?


幸福も不幸も生み出せる存在です。


でも、資本主義じゃなくてもそれは可能ですよ。


ってことは根本的には不要なもんなハズなんです。


人より優位に立つという事になってしまうのを避けられないシステムです。


そして、人より不利になるのを恐れるシステムでもあります。


人より不利にならないためには、人より優位に居ないといけません。


そして、その基準は義務教育中に強く刷り込まれてます。


刷り込みの目的は、当然、資本主義の維持のためですよ。


私は、資本主義的思想の危険性をずっと語ってますが、そんな私でも資本主義社会に縋らないと生きてゆけません。


全く不本意ですし不愉快です。


でも、資本主義社会で構成されたシステムの中に居ますから、妥協しないといけません。


そして、資本主義社会から抜け出すには、ホントに矛盾してるけど、資本が必要なんですよね。


戦争を終わらせるためには、戦わないといけない、この感じです。


まぁ、戦争は最大級テロ国家が継続を希望してるから終わりませんがね。。


資本主義と民主主義が合体すると、そこには何が出来上がるかっていうと、それは絶対的な優劣の格差ですね。


そして、資本主義と民主主義が合体した国家組織ほど、呪文のようにこう言います、『みんな平等』とね。


絶対にあり得ない。


資本主義と民主主義の中の平等っていうのは、システムに対する隷属と忠誠を誓う人だけにもたらされるもんです。


資本主義と民主主義に於いて、力とは即ち資本力です。


この力を削ぐのは簡単です。


資本を破壊すれば良いのですからね。


私は、このシステムの奴隷にはならない。


可能な限り、このシステムの上に立つ。


単純なことです。


何らかの出来事に対して、万民のする投資を遥かに凌ぐ低予算で成し遂げるという事です。


私は、資本主義に呑まれやすい人でした。


実際、20代そのものは破滅的でした。


資本主義に乗って、資本主義の返り討ちに合い、大量の資本を毟り取られました。


毟り取られた事よりも、資本主義に呑まれた事のほうが遥かに屈辱でした。


私は、いかに資本主義と闘うか考えました。


そして、色んな知恵やスキルを手に入れました。


このスキルは資本を生み出さないですが、消費を抑えられます。


つまり、資本主義の敵となり得た訳です。


じゃあ私が一体何をしてるかって言うと、ただ苦しい方法で生きてるだけですw


資本主義と闘うんは安直な道ではない。


極めて自虐的でないといけません。


ちょっとでも楽な道を選ぶと、たちまち資本主義は私を潰しに来ます。


資本主義に美しい部分は微塵もありません。


そして、正しい部分も全くありません。


資本主義と民主主義は、明らかに人間を格差で埋め尽くし、優劣を纏って見下し、コケにされます。


どこにも平等は現れて来ません。


瞬発的に一時的に平等なように見えても、何一つ平等ではありません。


資本主義と民主主義の中で最も厄介なのは、面倒なことを避けたがる所です。


面倒な事を避ける方法は、最も弱そうな人種に対してレベルダウンするか、最も面倒な人種に対して拒絶するか、このどちらかです。


特に、収入の格差に対しては露骨です。


例えば、AからBに移動するコストレベル(Sとする)が1だとします。


立場Xの人の収入レベルが100、立場Yの人の収入レベルが50、立場Zの人の収入レベルが10とします。


XがSに対して課金すれば99、Yなら49、Zなら9が残ります。


ZにとってSは、努力すれば可能な課金ですが、Xにとっては消失に気付かないレベルです。


どの立場から見てもSは同じ課金です。


これが逆の状態、つまり収入だとどうなるか。


まず作業Cの仕事の給与が1(Tとする)とします。


Xの仕事能力を100、Yを50、Zを10とした場合、Cを10こなした場合の給与は全員同じ10ですが、Xの能力に対しては90少なく、Yに対しては40少ない訳です。


固定給与は、より能力の高い人にとっては赤字です。


そして、規模の大きな会社であればある程、能力差の認定は面倒になるため、能力のある人ほど不適合となり、赤字が膨張します。


更に悪いのは、昇給制度です。


昇給の認定基準が仕事に対するものでは無いからです。


誠実であればある程、努力すればする程、仕事は評価されません。


日本の幼稚さはここが原因です。


みんなと同じぐらいが一番で、みんなより弱い人は助けられて、みんなより強い人は助けます。


つまり、真ん中ぐらいの人が一番何もしません。


そして、この状態から成長しません。


真ん中の人は、不満も無ければ満足もありませんが、だからと言って何も感じません。


そして、この真ん中に対して義務教育や日本の情報操作は強い魅力を刷り込んでいます。


平均値、普通、特に平均値のアナウンス量は膨大です。


時々公開される最大値や最小値はほぼ無視されます。


日本の民主主義と資本主義は、こうして少数派を破壊しています。


少数派の中でも特に少数派の意見や主張が爆発した事があるでしょうか?


出来事の本質を見た時、そこに必ずあるのは『多勢主義』です。


そして、多勢主義はコントロールしやすい。


最大テロ国家が良いお手本です。


国民の脳を操る方法を公開しているからね。


でも、日本人には全く不向きな方法です。


日本人は強く刷り込まれた『普通』によって歯車になってます。


私は、歯車の下に落ちてるゴミクズでも構わない、絶対歯車にはならん。


歯車は軸を中心に回るだけだが、ゴミクズは色んな所に吹き飛ばされる。


どっちが面白いか、だな。


私は、仕事を選びません。


何でもする、という意味では無く、生きるために必要な資本を得るのが仕事だから、内容はどうでも良いってことです。


社会のためになんかならない。


自分のしたい事がある、その妨げになるような仕事は絶対に選ばない、そういう意味。


社会など、んなもんどーーーーーーーでも良いわ。


一生社会人なんかなってやるもんか。


こっちはこっちで勝手にやるわ。


いちいち支配しに来んな。


社会に対して自分の立場への意見など皆目ありゃせんわ。


んなペラペラなもんに関わるほど軟弱ではありませんから私は。


社会ごっこなどそっちで永久にやっとけ。





私はもう最近そういう怒りの塊ですわ。


この怒りに対して、社会は掛かって来れるんかしら?


ムリよね。雑魚が。


良くしようとしたって永久にならんものに対して興味など湧くかアホたれ。




だれがー、選挙なんかー、行くかーーーーー!!!!








はい、選挙には行かないっていう作文でしたw


お蔭でおなかすいたわw