電力



みんなさん、お元気ですかスカ?


最近日本でようやく『電力』というものについて注目が集まって来ましたが、私が本格的に電力のロスについて自覚したのは、4年前でした。


それは、太陽電池パネルを入手した段階で感じた、あるイメージがきっかけでした。


太陽電池を日光に向けて、電極にテスターを当てると、針が振れる。


まぁ当然なんだけど、つまり、私がテスターで発電を確認しようがしまいが、光発電のエネルギーは、日中常に存在するってトコロに、莫大な無駄を感じた訳です。


そして、それと同時に、あらゆるエネルギー状態が発電の機会を与えられずに消えてってるのも感じてきた訳です。


エネルギーを電気に変えるとき、その変換効率は常に、いかにローコストであるかが注目されてますが、電力を得るのはそんなに楽なことじゃあないんです。


仮に皆さん、今突然電力が無くなったら、そして、二度と発電所が機能しなくなったら、もう電力諦めますか?


多分、なんとかして電力を手に入れようとするんじゃないかな?


今は、火力と原子力が主力となって、と言うか、完全に頼って電力を作ってますが、余りにも目先であるコトについては、誰も余り何も言わないよね。


環境汚染だとか、エコだとか、言うのもやるのも簡単だよ、石油作るよりは。


要は、化石燃料原子力に頼った発電は、最終的にガス欠になるか、収拾がつかなくなるもんであって、タダ、俺たちが死んで灰になる頃はまだ余ってるってダケです。


そんなこたぁ分かってる、そうなんだが、それがどうしたね?


分かってるダケなら意味が無いんだ。


まず絶対にやんなきゃいかんのは、節電とかじゃないハズ。


発電なんです。


自力で発電する術を、もっと考えなきゃダメなんです。


前も一回書いたけど、『動く』という動作で得る結果のうち、『動いた』というコトのために使ったエネルギーは、『動く』という動作全体のエネルギーの、ごく一部であって、必ず無駄なエネルギーが存在する訳です。


簡単なトコロだと、ライターに火を灯してから実際に燃やす物に至るまでのガスは、これは全部無駄ですね。


電動ヒゲ剃りの、起動からヒゲに至るまでの数秒、コレも無駄。


待機警官の居る交番、警察署、役人の給料、国会での党派間抗争、経済効果のみの経済、これらは同じくエネルギーの無駄です。


エネルギーの無駄は、必ず人間が作ってます。


そして残念なコトに、そのエネルギーは、殆ど全てが、人間が作ってるもんではなく、自然界の産物を使ってるダケなんですよね、誰も、『発電行為』は、してないんです。


これでは確かに、ちっとも有り難くないね。


試しに、自転車こいで発電するマシン作ったとしましょう。


回転力で出来る電力は、『電磁誘導』っていう作用で、殆どが作られてますが、『電磁誘導』ってのは、鉄の棒に銅線のコイルを巻いて、そこに磁石を近付けると電力が生まれる、というおおざっぱな仕組みですが、例えば、チャリンコの後輪部分に多数の磁石をSNSN…と貼り付けて、沢山のコイルを円周上に並べて、力の限りに漕ぎまくったとします。


それでも恐らく、大した電力は作れません。


人間のマッスルは、電力に対して実に無力ですが、全くゼロじゃあない。


だから、チャリンコ発電機は、あっても良いと私は思うんです。


例えば、携帯の充電、夜間の電灯、そんぐらいの電力なら、チャリンコ発電機で十分発電・蓄電が可能でしょう。


待機電力の分エコな運動をするんなら、運動して電力を作ったほうが、余程エコだと私は思ってます。


少なくとも、電力の有り難さは、エコ活動や節電や、まして、停電では体感出来ません。


何故ならそれは、電力は『存在する』からです、誰も、『電力』なんて作ってないからです。


ものの有り難さは必ず、その存在に至る行為に触れないと、理解出来ないんです。


私は、そう思ってます。


消費社会は、簡単に『もの』を提供してくれますが、その反面、『もの』が成立するに至るプロセスや努力は、度外視されがちです。


みんな、ただ待ってる。


もっと、頭を使わなきゃいかんと思うんですよ、人間なんだから。


『疑問』とか『理性』とか、電力と共に失われてる、まるで、そう、『無駄エネルギー』の様に。


電力は決して『カネ』で成立してるんじゃない、地球と自然界の恩恵で成立してるんだ。


『エコ』は『削減』で成立するもんです。


『エコ』は、『我慢すれば良い』もので、別に電力の増加が目的ではない、タダの延命とも言える訳です。


ありがたくないんだよね、別に。


テレビ消して、コンセント抜いて、厚着して、ソファに座って、明かりを消して、、、


そうやって寒さに耐えても、君の遠い子孫に影響は無いんだよ、いつまで経っても、『エコ』自体は延命だからね。


じっとしてるくらいなら、電力の生産やってみないかね?


チャリンコこいで、『エコ』の分くらいは発電してみないかね?


弱い力が多数あれば、十二分なる生産力だとは言えないかね?





間違なく、現在は『無駄エネルギー』の宝庫です。


それは、『活動力』そのものです。


無気力で他力本願な社会そのものが、活動力を余らせて、毎日止まってます。





もはや、人間に与えられた『知恵』で、実感できるエネルギーを、捻り出す時代の到来です。


他に、道は無いんです。。。