仙台を終えて。
仙台公演2つ参加してきました。
まめに書かないと溜まるって実感してるから、こそ書こう。
仙台公演は、昼夜同じ席。
一般で確保したためです。
ある場面では一般も十分価値があります。
3階下手前通路でタペ師冥利という感じの場所です。
公演は本当に良かったと思います。
特にまーちゃんの居るMCは効果高いですね。
公演前に着替えるために移動中、たまたまあの場所に近づいてしまい、公演前にえりぽんの生声を聞くという奇跡w
公演後は、せっかく部屋が和室だし、部屋呑みということにして飯だけしにアーケード方面に行くも、なかなか決まらず、飯は松屋に。
部屋に戻って部屋呑みして、順次落下。
翌朝は檜風呂に入り、仙台城址に行き、あゆみんして帰ってきました。
何枚かお写真も撮影できたのですが、こちらはまた後日。
最近とっても思うことだけど、私が初めて現場に入ったのが2002年10月19日、大阪厚生年金会館でのめっちゃライブでした。
あの時に感じた現場感というものは、今も同じように現場に行けば感じられるものです。
現場の、ある種異様な環境は、私の人生には無いものでした。
実際に私の現場姿勢を変えた公演となると、2003年2月2日の大阪でのハロコンです。
参加の時点では私は"亜弥ヲタ"だったのですが、公演後はほぼ"娘。ヲタ"になってた訳です。
実際、私が亜弥ヲタとして参加した一番南の公演は姫路、東は名古屋です。
娘。ヲタとして最初に参加した公演は大阪城ホールですが、次の参加はもう埼玉です。
SSAの公演に参加するっていうのは、今と当時では全くメンタルが違います。
基本は同じですが、参加のスタンスは全く変わる。
会場内での距離よりも重要なことが今でもあるのは確かだけど、当時とは全くスタンスが違う。
しかしながら、状況やら色々なものが変化しましたが、変化しなかった自分の時間があります。
私が開演前に必ず取る時間があります。
それは、私が今までに関わった仲間のことを思い浮かべる時間です。
なるべくたくさん、出来たら全員のことを思い浮かべるようにしています。
実際は難しいですが、この時間は私の基礎の時間です。
参加の実体は物理ではないという考え方が根幹にありまして、尚且つ、2002年10月19日から今まで続いているこのチェインの一環は、私が知る一つの歴史でもある訳です。
歴史の証人なんてものに人はなれません。
何故なら、それを残す事自体、主観そのものだから。
客観的な記録は決して歴史の記録にはならないし、主観的な記憶は歴史の証にはならない。
この14年の歴史は、私の歴史です。
そして、その歴史に名を連ねる人はみな、私の歴史そのものです。
人の価値っていうのは、社会やら倫理やらのためにあるんではない、あくまでも個人的なものです。
自分の価値は自分でないと決められない。
その領域を出るのならばそれは、主観の押し付けとなり、結果的に人の歴史の侵害となるから。
記録を残す主観の歴史ってのは、人間性の具体的な記述です。
そこから歴史を紐解くのが目的ではなく、記録者の人間というものに触れるのが面白いんです。
私には数多くの仲間が居ます。
そして、嘗ての仲間も沢山居ます。
みんな、私の大切な歴史です。
主観的に嚙み合わない人も多いですが、それもまた大事な歴史です。
決して否定しない、これが私の目指すところです。
過去に目を向けて未来を覗こうとするのはナンセンスですが、過去ほど愚かなものってなかなか無いです。
最近、人間は絶対に退化しないような気がしてきています。
物事が悪い方向に流れようとしている時ってのは大概経験則の微分の語り掛けですから、結果は修正しやすくなるってもんです。
理想線の高い世の中になってきてはいますし、基本倫理の崩壊も壊滅的ですが、それぞれ相反するようなのに、対峙してる、そんな世の中で、正確な微分を叩き出す人なんて居ません。
より正確に思える人が居たとしたら、それはただ、その人の尽力の賜物です。
物事を受容するっていうのは、一番困難な事でしょうが、その向こう側の歴史に私は興味があるから、努力したいって思います。
もはや何の話かって?
娘。はメンバーの加入と卒業を繰り返して変形するものです。
先のことを不安に思うのはナンセンスだし、懸念すら意味のないものです。
何故なら、娘。が一度だって私の思った方向に進んだことが無いからです。
娘。は私の歴史の一部であり、あと5年もすれば人生の半分を娘。と過ごすことになる訳です。
当然、現役メンバーは私が娘。に関わった歴史ほども関わってない人たちです。
20年という時間は、とてつもなく長いものです。
人間の人生を宇宙規模でちっぽけなもんだとする人も居ますが、どっちにしても一人の人間が関われる歴史なんて高が知れてる。
そんな中、20年も続いてる娘。ってのは、とてつもなく長いものと言えるでしょう。
娘。の現場に参加すればするほどに、"辞めたい"という考えが消えてゆきます。
当然、楽しいからではありますが、楽しさの周りの感情の多さが私の生きる糧である事、数年前に実感したそれは、もはや私の実体です。
どこにでもあるもんではない、続くなら続ける。
てことで、最新作。
そろそろ違うセーバー持たせたくなってきたな、、