下衆

私はずっと大事だと思っているし、最初から根本的な気持ちが変わったことも無いし、波がある訳でもない。


目立つ訳でも無く、控え目なつもりも無いし、ただそこで泣きたいだけかも知れないし、笑いたいだけかも知れない。


多分最初から趣味ではなく、最初から携わる使命を感じてるのかも知れない。


携わることには大きな意味がある。


人間は、人形や記憶の箱や誇示の象徴や金の奴隷ではない。


理想論と言われればそれまでだし、ファシスティックな発想なのかも知れない。


より狂信的なイメージが誇大化してるダケかも知れないし、一歩間違えば殺戮的思想を育みかねないのかも知れない。


でも、私は絶対に大事にしたいし、誓っていたいと思う、私が携わってる夢の支持を司る后達が四苦八苦したり、痛みを堪えたり、何かを伝えようとする限り、私には着いて行かない理由は無い。


その価値は、無価値に限り無く近く、且つ人生で最も重要な価値を帯びた『理由』であって、軽んじるべきものではない、ということである。


私にとって片方についての原因は底無しに深く暗いが、仲間と呼べる全ての存在は私の誇りだ。

もう片方についての原因は、ひたすらに純粋で、底辺でも厭わない支持心を持つもので、仲間を探し辛い比較的孤独な世界だ。


個人的には、常に我流が大事。

その道から外れない限り、自分にとっての意味は崩れないと信じている。



来年はきっと、下衆がいかに下衆たるか、さらに理解出来る年となるだろうけど、今年みたいに怯むことは止めたいと思う。






突然沸き出た感情だったから、記録するべきだと思い、記録しました。