秩序とスマホ。

これは私の個人的な考えです。

 

スマホは世界をダメにしました、そして今この瞬間もまだダメにしています。

ネット社会の一番マズい所は、この仕組みの枠から突然外れると何も出来なくなるところです。

基礎的にマズいと思ってるのが、莫大な人数の歩きスマホ生物です。

危険だとかどうとか、そういう部分はさておき、歩行よりその画面の向こう側に何か重要なものがある生物が増えているのがマズいと感じるのです。

歩くのに必要な周囲の生の情報を超えて、何か重要なものがそこにある、そういう事です。

だから、歩きスマホ生物は、その行為の邪魔をしてくる人に対して苛立つのです。

そもそもだから、歩行を超えて重要なものが、画面の向こう側にしかありえないシステムのエラーと言えます。

歩きスマホを決して擁護しないし、今すぐ消えてほしい生物ですが、環境が無ければ存在しない生物であるのは、これは確かです。

でも、私はもっと根本的な危険があると思ってます。

それがスマホです。

私自身、スマホを使ってますが、そもそもガラケーを受け入れない社会になったから仕方無く使ってます。

エンタメの部分に対しては、殆どどうでもよいと考えています。

故に、私自身もこのシステムの枠にハマっておる訳です。

実際、通販の面、金の管理、交通手段の管理、データの管理、そして仕事の管理まで、事実上このスマホが無くてはやってけない仕組みに掌握されています。

実際、世の中のシステムがそのようになってきて、そりゃ便利ですよ、小銭も殆ど要らない状態ですし、通帳も必要無く、どれだけ働いたかってのもすぐに解る。

世の中の仕組みがそちらに傾いてきて、どうにも反対側には倒せなくなってきてる状態なのです。

私は結果的に物理的な何かが存在する状態を好むので、ネット上で完結する出来事そのものには余り深い興味が湧きません。

結果的にどこかで物理事象があるような、そういう使い方をしています。

でも、やはり世の中の仕組みがそちらに傾き、1種類の方法論が勝つような状態が本当に恐ろしいです。

そもそもネット社会の存在自体はもっと昔からあるし、社会の構造として私が危険と感じる資本主義やら民主主義も、それ自体の歴史も古いです。

ただ、その速度を、人間が処理できる速度から逸脱して進ませたのは、スマホです。

あらゆる便利は、結局人間を苦しめます。

私は、人間の進歩が地球の悪だと考えてます、故に自分は悪だと考えてます。

特に環境問題がどうのこうの、と言うのは、もう手遅れになった今、ようやく言い出してる状態であり、それはつまり小便をチビり始めてからトイレに向かってるのと同じで、チビったものによる汚染は残るのです。

資本主義と環境破壊は一対なのだから、環境保全をするって事はつまり資本主義を捨てるって事です。

今から行う環境保全ってのは、数百年後に結果をもたらすかもしれない行為ですから、実感を得ることは不可能です。

それを理解した上でやってんのかどうかと思うと、そうではないでしょうね。

 

そして、コロナを止められないのは、人間の欲望が存在するからです。

本当にコロナを死滅させたいと思うのであれば、経済活動はしちゃいけません。

コロナがどうやって感染するのか、それはもう皆さんご存知なのに、どうして死滅しないのか。

じっとしてられない社会があるからです。

つまり、資本主義を守るために、コロナの感染による死者の皆さんには犠牲になってもらってる状態です。

私は思いますよ、資本主義をどうしても守りたいけどコロナを死滅させたいのなら、スマホをもっと活用すべきだと。

皆さんスマホ見ながらウロウロしてますけど、スマホが移動してない時間は、分単位でそれなりの給付金を受けられるようにするべきです。

今の人間だいたいの人がスマホと人間がセットです。

移動せずにスマホを見るのは、本来それ自体もある程度問題あるけど、歩きスマホ状態に比べたら相当マシです。

給付を受けるために携帯を自宅に置いてきぼりにして生きてける人間の数は相当少ないでしょうからね。

税金は、しかるべく利用して国民を守るためにあるハズですからね。

なので、私はスポーツに余り興味が無いから、オリンピックのために費やされた税金については全く承服いたしかねます。

飲食やレジャーの業界の方々が、どうも食っていけない住んでゆけないって言うのに、オリンピックですかと。

その税金を給付に回せば、そもそも感染拡大なんてもっと抑えられた。

これは仮定ではなく事実です。

実際、人の動きがなければ感染が拡大しないんだから。

世の中の色んな仕組みが、コロナを延命して人間を早死にさせてるだけです。

数百年後、人間がもうちょい利口になっていたなら、このコロナの時代の歴史は、鼻で笑われるような御粗末なしょうもない時代と言われるでしょう。

コロナが死滅しないのを誰かのせいにしながら、私は大丈夫なんて思いながら、今日も明日もスマホ見ながらウロウロ歩く人がいっぱい居るのでしょう。

夜道で見掛ける歩きスマホ生物は、画面に照らされた顔を、その恥ずかしい顔だけは全く隠そうとせず、やれ個人情報だのなんだと言いますね。

システムに巻き取られるままに、特に疑問もなくウロウロしてます。

システムと共存してるつもりなんでしょうが、このエラーだらけの社会のシステムと共存したいのなら、しっかりそのシステムと喧嘩しておくべきだと、そう思いますよ。

そりゃ社会のシステムはまぁまぁ悪です、ですがそのシステムの良いところだけをうまく利用してこそ共存でしょう。

 

私自身は運良くコロナの影響の少ない仕事をしています。

そうでない方々については、本当に大変だと思いますし、災害だと私は思ってます。

この災害に対して、私達の国はどうも冷やかです。

津波が日本全国の問題でないのと、何が違うんでしょうかね。

本当に血迷ってます。

血迷ってる国が冷やかなのに、文句を言っても届くわけが無い。

言わなきゃもっと届きませんがね、それでも言っても届かないんです。

私は、資本主義が本当に嫌いです。

そして、このシステムから逃れたいから、だから資本が必要なのです、もう本末転倒です。

やりたい事を職業にできてる訳でもなく、生活のために仕事をやってます、別にやりたくない仕事です。

そんな興味無い仕事です。

 

ですが、私はやっぱり思う、バランスとしての秩序の維持に、資本主義もスマホも、やはり役には立っている。

 

民主主義は幻想だけどね。

 

スマホに掌握されたように見える社会のシステムですが、うまく利用して対峙してゆく、もうこれは個人レベルで切磋琢磨するしか無いんでしょうね。

そもそもこのシステムの入口に立って泥団子を転がし始めた人も、その途中で泥団子を転がし始めた人達も、泥団子にへばり着いて転がってるんですから。

どっかで踏ん張らないと止まれないし、上手に降りてゆけない。

 

スマホも秩序も、自分が思うより高い水準で俯瞰してゆかないと、もうダメかも知れない。