ISD機体上面下地。


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これが無塗装状態。

下地を乗せました。


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濃いグレーです。

極めて黒いグレーです。

下地を黒にしてしまうより仕上がりがリアルになります。

このISDの表面のパネルラインは深くて大雑把なので、最終的に墨入れをせずに仕上げるためには、このパネルラインに対して深く塗り込まずにパネルカラーを置かないといかんと思っておりますので、この下地は意図的に深く置いてます。

追加してゆくパネルの塗り分けは、このパネルラインとは関係無く致しまして、最終的に手書きでパネルラインを追加してリアリティを出すのが良いと思います。

どの塗装も精密さや緻密さは必要ないんですが、追加してゆくパネルとパネルラインは緻密であればあるほどにサイズ感をデカくできると思ってますので、その方向性で進めます。

ただ、面積がスゲーので、マスキングだけでほとんど苦行ですw

艦橋下の部分の屋根のマスキングと塗装で相当時間を要してるし、艦橋下の本体部分もまだG2までしか行ってないのですが、えーかげん本体に着手しないと永遠にこの艦が出発しないと思いますのでね。。

電飾の準備は少しずつやってますが、沢山のLEDをダイレクトドライブする気はないし、エンジンの発光は揺らぎを与えたいので、回路的にも規模的にもダイナミックドライブを基本としたものを無プログラムでやりたいと思います。

窓の電飾はファイバーと薄い銅管とSMDLEDを組合せて作ります。

銅管を使う理由は、基板にハンダ付けして使えるから。

室内には莫大なスペースがあるので、仕組みも規模も余裕があります。

このへんはVMで不可能な領域ですから、存分にやりたいと思います。

 

さて、半年で完成しません!

ジャンプ禁止の時代。

非日常が、そこに存在する。

 

私が娘。に関わるようになったのは、およそ19年前、非常に素晴らしい時代でした。

初めてハロー絡みのライブに参加したのは松浦亜弥さんのライブで、このライブで初めて特服やハチマキのヲタを見ました。

松浦亜弥さんが本物かどうか、確信は持てなかったけど、ヲタってやつの実物を初めて見たのがこの時でした。

そっから数公演ハロー系のライブに参加する中で、私がライブでいゆるジャンプをするようになった理由は、前のヲタがジャンプしてメンバーが見えなかったから。

前のヲタで見えないなら、前のヲタより高くジャンプすればよいだけのこと。

それが、私のジャンプの始まり。

そっから本当に沢山の公演を、数えきれぬ回数のジャンプと共に参加してきました。

もちろん、常に前のヲタがジャンプしてる訳ではなくなってたけど、音楽のリズムに対する応答として、ジャンプはグルーヴのより高いエッセンスとして繰り出しておりました。

 

長い年月に於いて、私のヲタ活動とジャンプは密接でしたが、私のヲタ活動の根幹ではありませんでした。

私のヲタ活動の根幹は常に、ライブの空間独特のうねりを体感し、その一部となる事です。

そのうねりの一つが、もう間も無く潰えます。

ジャンプの中でも特に推しジャンというヲタ芸は、激しくありながらも繊細な行為です。

推しをリスペクトする行為と音楽とのバランスであり、闇雲でも控え目でも意味を成しません。

私のスタンスは、音楽の躍動に乗っている推しの歌声のパートの終わり部分に対する喝采と同じ意味です。

即ち、楽曲の持つ空間と推しジャンのムードが一致して、そして融合する時に初めて繰り出される技です。

バラードでの推しジャンはつまり、無意味です、だからと言ってバラードでのヘドバンを否定はしません。

当然ながら、ソロパート全域に対する連続的推しジャンなど、全く意味がありません、ただ騒いでるだけと同じです。

推しジャンが繊細な理由は、そういったあたりです。

 

来年からハローの現場でジャンプが全面禁止というアナウンスがありました。

今までジャンプありきで成立していたような楽曲も、ジャンプ無しで参加することになるのだろうか、といった懸念はありますが、ずっとジャンプ無しで参加してる方もおられるので、そこは一言論ではありませんね。

しかしやはりジャンプという行為は着地をコンスタントにするために気を遣うし、周囲にも気を配らないといけませんし、あらゆる面では確かに危険な面があるのは実際事実ですね。

私自身は近年膝や脚そのものを大幅に故障しており、正直昔ほどジャンプ出来るような状態ではなかったけど、数少ない推しのソロパートや、楽曲にリンクする部分でのジャンプはやってました。

自分で確保できる範囲の安全性で。

私はね、最近のヲタが昔よりそういった面で分別や免疫が無いことに懸念を感じておりました。

そして、ジャンプが造っていた現場が、そうでなくなってきてるのも見てきました。

それでも、メンバーや楽曲が織り成すうねりは、ジャンプ無くして成立しないような面もあると、そう考えてます。

芸術というのは、私の中では比較して優越や是非を問うようなもんではないという考えがあり、それ故に、特にライブのような非日常の空間に於いては、どのようなもんであれ肯定的に受け入れるのが芸術だと思ってます。

ライブの現場とは、非日常なもんですから。

ライブの空間で非日常が抑圧されるのは、それは即ち表現に対する抑圧であり、日々の抑圧からの解放が得られなくなるのと同じです。

非常に単純な事です。

マサイの人たちも、平日常にジャンプしてるんでは無く、週末の非日常空間でジャンプによる発散を行っていたのです。

ライブの楽しみ方は参加人数分あります。

それを理解していれば、あのような行為は生まれなかったのか、というのは全くあり得んと思います。

そもそもヲタ芸ってのは、ステージとの隔絶的娯楽です。

てか、極端なアリーナとか、物理的に距離が異常な現場で、アーティストとの距離感が絶望的な人がライブ現場を楽しむために発生したのが、そもそもヲタ芸だと私は思ってます。

全てのヲタ芸は、目の前に推しが居なくても意味を持ちます。

でも、ジャンプとか推しジャンってのは、ライブである故に意味を成す行為です。

推しジャンなんて、本当にいとおしい行為なんですそもそも。

推しが歌ってるから、努力してるから、頑張ってるから、それを嬉しく思い、賛辞を表すために行う行為です。

それよりも神聖な行為が、ジャンプですよ。

ジャンプってのは、当然ですが音楽のリズムに応答してうねるのがジャンプ、ビートと情熱の結晶行為です。

重力に反し、重力を感じる。

この反復がジャンプです。

これもう、完全に非日常。

それも、まあまあな人数で行うってのが異常性であり、一体感である訳ですね。

俯瞰したら、どちらの行為もただ物騒なだけですが、ライブの現場が物騒なのは、ロックンロールが産声を上げた大昔から存在するライブ現場の正義です。

日常が、そこには無いから。

日常の延長線上なんかにライブ現場はありません。

だからこそ私は思う、色んな反応を見てて一番私が感じる皆様の苦情はね、前のヲタがジャンプしてアーティストが見えない、というもの。

いや、そうではないよ、前のヲタが巨大なだけで、アーティストは見えなくなるんだよ。

それも、絶対的なもんではないんだよ、自分が巨人であっても、更なる巨人の前では小人なんだよ。

じゃあ、そういう巨人は後ろで見てくださいって事になるんかな?

巨人が微動だにしない潔癖タイガーであっても、邪魔なもんは邪魔なんです。

闇雲にジャンプ禁止となれば、当然巨人が優位になる。

逆に、小人は跳ばなきゃ見えないって事も理解してあげて欲しいね。

平等や平和を主観で要求すると争いになる、これが戦争の歴史でしょう。

7000円も払って貴様がジャンプするのを見に来てんじゃない、反対側には、7000円も払って貴様のためにジャンプを我慢しに来てんじゃない、という事です。

戦争の実体と変わらない。

非常に乱暴な言い方だけど、ライブでアーティストを見たいのであれば、よりアーティストを見るのに特化したファミリー席という設定があるんだから、そちらで安全に見て欲しい。

興業運営側が設定している安全領域です。

相撲観に行って、最前で『おーい!デブが降ってきたんだけどー、危ないやんかー!』

て言うのと同じ。

だったら力士が降ってこない所から観戦してください。

て事です。

でも、それじゃぁライブなんてつまらんでしょうに。

色んな人がはしゃぐのが、ライブです。

 

私はジャンプ至高論者ではありません。

故に、ジャンプ全面禁止は理解し難い。

私もライブ現場で極端にハメを外したことは何度かありましたが、学び、改善してきました。

その改善は、隣や周りに対する配慮、なんぞではない、自分の安全のためです。

ライブを安全且つ非日常に楽しむために必要なのは、矛盾してるかも知れないけど、繊細である事です。

理解という要素は、繊細な行為によって成り立つんだから、過度なジャンプも、過度なジャンプへのアンチ反応も、無理解だし粗野だ。

そういう意味で言うなら、プラチナ期ヲタは極めて紳士であったと私は思いますよ。

認め合い、協力し、楽しみ、支えていた。

ライブ後にロビーで大合唱した田中っちのバーステー当日ライブ、あんなの今は起こり得ない。

だが、だからと言って今の現場に否定的ではない。

私は今も昔もライブの現場が大好きだし、唯一の救いです。

だから、私自身は、ジャンプ禁止でもそうじゃなくても変わりません。

分別と繊細さが、現場に存在する日を待ちます。

 

そして、昨今の私の一番の懸念というか正直嫌な現場が、個別握手会です。

私の内向きの個人的な領域では、メンバーと会話や握手が出来る現場があるのは大変助かります。

このような人間なので。

ですが、あの現場がもたらした一番の歪みは、あるはずの距離感が無くなった事です。

私は、常にメンバーとの握手は過度の緊張と共に存在してます、故に、一日のリミットってのが存在します。

一日と言うより、一定期間のリミットです。

どうやらそれが麻痺してる現場なんですよ、個別握手会って。

まるで、安い酒を飲み続けるような、そんな感じに見えてしまい、辛いんです。

余り言いたくないけど、アーティストと非アーティストの間には、あるべき壁が存在するのに、それが薄くなり過ぎてる。

身近になり過ぎたのが、全ての均衡をおかしくしてるように思うんです。

音楽CDの意義が失われて十数年経過しましたが、ここまで破綻するとは思ってなかったね。

まさか、CDが握手券のおまけになるなんてね。

もし私が音楽家なら、そんなイベントは断るね。

開かれもしない、聴かれもしないCDを買って、何度も会いに来るような、音楽を冒涜するような奴に、なんで会って握手して、尚且つもう完全にそのCDの事なんか無関係な話しばっかりするんだね、私ならそんなの憎悪でしかない。

人生を切り刻んでるアーティストに対して、不敬極まりない。

そして、余りに資本主義的でつまらない。

私がライブ現場が好きなのは、結構な勢いで資本主義的ではないからです。

エンタメって、実はロスのほうが多いし、芸術家側はそれでも良いってのが、それがエンタメです。

個別握手会にエンタメの要素が無いとは言わないけど、圧倒的に想像を越える冒涜が、そこにあるんだよ。

だから、どうせなら、『1名義あたり、CD何枚買っても1~7部の握手券が1枚ずつ、メンバーはランダムで入ってます、トレードとかしたかったらそっちでやってね♪』ってのがいい。

その代わり、CDもジャケットも拘り抜いたデザインで、CD収録曲は配信のものとは別のもあるよ、というのが、それがエンタメですわな。

私は、メンバーとの握手も会話も、あってはならないものを特別に用意してくれてるものだって考えてます。

どのような金額であれ、そのプレミアム感は変わりません。

その感覚が失われ過ぎた現場に、長時間居るだけで疲れます。

だから、個別現場には、なるべく短時間居るだけで終わりたい。

そう思います。

 

繋がりが無いとは言えない、個別を取り巻く環境とライブ現場の変貌、必要ない戦争は、したくない。

KK初演に行ってきた。

座間にて開催された娘。秋コン初演に参加させていただきました。

15期の本体初演とゆう事でしたが、結果的には殆どえりぽんを追いかけて終わりました。

 

物販列に早めにハマるため、当日の朝は早めにノリさんちを出ました。

ノリさんが車を手放して以来、座間はレンタカー。

早めに出たけど物販列の位置的には多分150前後ぐらいの位置だったのかなと。

日替り、ピンポス、マフラータオル、Dマガ表を仕入れました。

今回から日替りはえりぽんとちーちゃん。

札幌からはめいちゃん追加予定。

15期ではめいちゃん推そうかなってね。

 

今回は超久々のピン参戦。

ライブ自体のピンは、多分プラチナ期以来なんです。

プラチナ期ってか、8ビート以来かな、

うまくいかなかったんですよ、初めて。

 

ライブの感想ですが、セットに触れないとするなら、体力は必要だなって。

脚がまあまあ悪いので自然とセーブしてるけど、それでもまあしんどかった。

このしんどさは、純粋な幸福です。

 

娘。ってやつは、こうやって代謝するもんなんだなってのをおもっきし見せられた感じです。

圧倒されました。

 

 

 

しょうもない話ですが、最近職場に前の職場に居たタイプのクズが居まして、これが結構プレッシャーを掛けてきます。

私は苦しみを捕食する卑しき獣ですが、いやね、現場の総意ではクズはクズなんだけど、どんなクズであれ、そういうプレッシャーというのは現場の調和を乱すんです。

私に対するプレッシャーが、現場の総意と一致するなら現場は乱れない、ただ単に私が圧迫されるだけですが、私に対するプレッシャーが現場の総意と一致しないなら、不必要な緊張とやりにくさを作り出します。

私は、そういった空気を現場に持ち込む輩のことを、クズのなかのクズと呼びます。

前の職場のクズにどっかで出会うようなことがあれば、残念ですけど容赦する気はないです。

それと全く同じです。

保てるはずの調和を破壊的にする輩が、仮に職場での立場が大幅に上であれ、私の執念深さというのがどんなものかってのは、思い知る必要があるって事です。

私は内面的臨戦態勢に入ります。

前の職場と違い、勢力はこちらのほうが遥かに多勢。

古過ぎる剣は朽ちている、振り下ろせば己から攻撃も守備も出来なくなる。

そうなってから天を仰いでも救いは無い、首を差し出して剣と共に朽ちるのみ。

長期戦でも構いませんよ、現場の調和に亀裂を創った罪は極刑とて軽率となるんですから。

という、しょうもない話です。

始動しておる。

秋ツアーに関する動きが、始まっております。

毎回同じなんだけど、予習。

そして、各種手配。

メンタルの構築。

です。

実際娘。に会うのは春ツアー武道館以来。

長かったよ。

間にあった現場がえりぽんバーイベだけでしたので、まともに久々w

ライブ現場は3ヶ月ぶり、久し振り過ぎてようわからんとならぬよう、予習しております。

娘。の曲に取りこぼしは無いと思います。

マニアック過ぎる曲があると良いな。

 

 

 

足回りが余り調子良くありません。

来週月曜は休暇にしようかなーと悩んでおります。

 

 

 

1/5000ISDは、電飾絡みのなんやかんやもあり、とりあえず電飾関係ない部分から塗装やら組み立てやらやってますが、バンダイて気違いだなw

SSDも電飾絡みで作業止まってますが、とにかく細かい。

てか今作業止まってるやつ全部電飾絡みだw

秋ツアーにつきまして。

今回の秋ツアー、参加予定が9公演と、とっても少ないんです。

千秋楽を含んでないので、概ね10公演と言ったところにはなるんでしょうけど。

 

初演に落選し続けておよそ7年、当選確実のパシフィコ横浜での初演を除けば。

まあ、あのパシフィコは超絶クソ席だったのでとにかくパシフィコの印象自体劣悪です。

初演に最後に当選したのはいつのことだろうか、もしかしたらウルトラスマート以来か。

覚えてません、半券確認したらすぐ解るんだけどねw

ここまで初演に当選しないのは何故か、と考える事がありますが、今までの初演の高騰具合を見ていれば、まぁそれなりに落選し続けてる方も多いのかなって思います。

某ヤホーさんのなんだかんだでアレしてしまったチケットの流通ですが、それでも未だに初演ってのは理解できぬぐらい敷居が高いです。

私が初演に拘るのは、初演にしか無い空気感を体感するためです。

こればかりは代替となるものが無い。

いや、どの公演であれ代替となるものなんてありゃあーせんのですが、その中でも最も予定調和率が低いのに一体感は異様に高いのが初演。

他の公演のどの公演よりも参加意義を高く感じています。

なので、昨今当選しない大阪は回避率が上がっております。

前のツアーも、大阪はNHK初日は夜を回避しています。

今回は大阪そのものを回避しています。

当選しない初演以外凱旋以外は基本的には回避を優先するってゆうやつです。

 

さて、さてさて。

 

そんなこんなですので、私の中ではある程度もう既に来年の春ツアーに対するモチベーションが存在しております。

今回の秋ツアーは当然楽しみです。

しかし、参加率を意識して下げているのは、来年の春ツアー以降も安定してツアーに参加するためです。

私の中で娘。に対する熱量は全く変わっておりません。

最大に重要なのは、参加率ではなく参加密度です。

参加公演に対するリスペクト。

これが確固としておれば、問題なんて何もおきないんです。

 

今回の秋ツアーは、どんな風に攻めてくるのか、私は受けて立つ。