理由

私が何故に新垣里沙姫と菅谷梨沙子嬢の現在と石村舞波嬢の思い出を大切に日々を過ごそうとするのか。

私が何故に人間たるかを確固としたのは、紛れもなく『モーニング娘。』であり、『ウィアラ』であり、『あななし』である。

私の歪み過ぎた感覚と精神を、その活動に於ける姿勢と信条で浄化し、無私の心の苗をそっと私に植えてくれたのは、新垣里沙姫である。

類稀な感受性で私の創作意欲に発破を掛け続け、破壊的でありながら且つ維新的であり、私を補填しているのは、菅谷梨沙子嬢である。

慈愛と抱擁力で周囲に細かい梁を張巡らして、私の行き場に繊細な光を放ってくれていたのは、石村舞波嬢である。

私には常に理由が必要だ。


理由無く進むのは無理である。


理由さえそこにあれば、私はいくらでも推進力を獲られる。


私にとって理由とは、生存意義そのものであり、理由を失ったものは私から自然と離れる。


物事の推進には理由がまず必要であり、基本的に彷徨うことはできない体質である。


めげそうになった時、その行為の根源にある理由を振り返ってみて、その理由が私に推進する情熱を与えるのであれば、私には止める理由は無い。


狭かろうが、広かろうが、近かろうが、遠かろうが、その空間と時間に共有するのに必要なだけの情熱が、消費速度以上に備蓄されている今、私には贅沢なくらいの情熱が与えられている。



3人の類稀な存在への私の行為は、利害関係を全く含んでおらず、故に私が失意する隙は無い。



歴史が刻まれる度に増す理由に、毎日感謝している。