よーしよし。
最近とっても娘。ヲタなBMK村長様です。
昔『村長』と呼ばれていたんだよ。
そういう記憶もまた歴史かなって思ってる。
あの頃から一切ブレずにここまで来た。
去年の今頃だっけかな、もうちょっと後だったかな、えりぽんぬ陥落大事件があって、そっから正式にえりぽんぬが推し増しになり、それでも里沙姫の位置が揺らぐことは無く、そのまま知らぬ間にえりぽんぬがガキヲタになり、こんな便利な話あるかよって思って今に至ってる。
そして、くどぅーが正式に推し増しになり、まーちゃんが正式に推し増しになり、、、まーちゃんが正式に推し増しになったのは、知らぬ間の大阪だったというコトなので、2週間前です。
娘。の中で基準越えの推しは現在4名、来月の半ばで里沙姫が去り、暫定的には3名になる。
でもね、
最近のモーニング娘。は、過去に無いぐらいみんな大好き。
『苦手』を感じるメンバーが一人も居ない。
これって応援のモチベーションとして最大の武器よね。
アレなのかな、そういうトコロもなんか、娘。ヲタだからってのがあるのかも知れない。
いやね、箱内での推し変ってのは、それなりにあると思うんだ、新たなメンバーが入ったり、卒業があったりするんだから。
でも、だからって誰も何にも言わないでしょ。
みんな殆どがモーニング娘。を好きでしょ。
その根源があるとね、すっごい安心感があるんだ。
もちろん、ピン目的の人も居るだろう。
それも当然なんだよ。
でもね、それが大半じゃない、これは大きな要素だよね。
私がモーニング娘。を慕う理由、それはやっぱり『仲間』という感覚だ。
私にとって『里沙姫』と『仲間の笑顔』は、天秤にかけても吊り合うんだ。
みんなの楽しんでる情景は、とんでもなく心が温かくなる。
心無い人がたった一人居るぐらいでは、揺らがないものなんだなって思う。
娘。だから出来ること。
そういうもんを、今まで作ってきた人達なんだ、娘。もこっちも。
そういう気持ちが娘。ヲタを続ける私の最大の理由なんじゃないかな。
だからね、舞波ヲタとしてのステータスは、極端に孤独だし、逃げ場も攻め場も無いんだよね。
もともとが個人な時代のBerryz工房の時の私の推しだから。
今はBerryz工房みんなが大好きだけど、みんながそうじゃないと今も感じるのだから、だからこそ、孤独は抜けないんだ。
これは、私がどうこうしてどうかなるもんじゃない。
そういう風に、みんながなってたし、そういう時代だったし、そういう人種がたまたま集まった、そういう空気のあるグループだった、少なくともこっち側はね。
過去を変えようとすれば、まず以って自分を抹殺するトコロから入る必要がある、けどそんなのはナンセンスでしょう。
過去は変えられない。
その事実はね。
でも、
その時の自分を今の時点から見たときにだよ、あの時と今とだったら、どっちのほうがちゃんと自信持ってるって言えるか、自問自答してみると、
絶対に今だって思うんだな。
だから、過去の、その時点の自分の存在した意義は、今の自分の布石と考えれば、悪かったなんて一切思えないもんだなと。
人間など、どっかで弱さを持っていてだね、どっかで必ず誰かに好感も不快感も与えてるもんだ。
じゃあ私ならどっちを見たい?
当然ながら、両方だ。
片方だけでは何も判らない。
それが人間。
人間でなくたってそうだろう、なら人間だと尚更でしょうに。
両方をよーく知ると、『こいつが好きだ』とか『こいつが嫌いだ』とか、その判断になかなかたどり着かないと思う。
苦手であろうと、その人の全てをバッサリと否定するだけの、確固とした立ち振る舞いが自分にあるかどうか、考えたらそうはならんです。
人間が、そう、ある歌詞にあった通り、『死ぬまで未完成』なんなら、結論を出すのは非常に傲慢だと、そう思う。
特に対人な場合、必ず冷静な部分が必要で、そこでは客観性も大いに必要で、少なからず、というか膨大なエネルギーも必要だ。
それが面倒なら、どうぞ引きこもってて欲しい。
人間などと出会わずに、ネットワークの中で勝手に好きなように言っててくれたら良いと思う。
考える力をそぎ落として、何らかの有機体となってしまえば、それこそみんな幸福だろうにね。
まあ、そんなに楽なもんではないわな。
とーにかく、そういう考えがあればこそ、私は娘。ヲタをずーっと続けられるだろうし、舞波ヲタも、続けていってしまうんだろうなと思う。
どっちも修行みたいなもんで。
とりま、私が克服しなきゃならんのは、あしだまなちゃんだろうなwww
以上、おし舞波。
広島のチケットが来た。
また前通路だぜ!!!
こんな楽しい事ってあるかよ☆☆☆