里沙姫。



ご婚約せり。


えーと、大した感情はありませんw


新垣さんが役者さんになった頃から、早く役者さんと結婚すればいいのにな、と思ってました。


私が新垣さんに貰ったのは、物事を時間と共に流す姿勢です。


新垣里沙という人は、そもそも娘。の最終オーディションに行けた時点から多幸の塊を貫き、遂に出られなくなった人だと思っています。


幸せというのは人それぞれです。


同じく、苦しみもまた人それぞれです。


どちらにも広義な正論はありません。


新垣さんが娘。時代に於いて辛かった事を『空欄』で示したのが何よりの根拠でしょう。


自分が未来永劫幸せであるために必要なものに早い段階で気付いた(多分自覚は今もなさそう)のが新垣里沙という人。


私は、そんな新垣さんを追い慕うことで、数えきれない幸せと苦しみを貰い、生きるための糧となりました。


私が新垣さんに背負わせたものは、まるまる全てを今はえりぽんに背負わせています。


新垣さんの時とは全く違うものをえりぽんは私にくれています。


新垣さんを推していた、という感覚は余りありません。


今も昔も、私は娘。を慕っています。


娘。の新垣さん、娘。のえりぽん、を推してるんじゃなく、新垣さんの居た娘。、えりぽんの居る娘。を推しているのです。


ただ、私には特定の推しが必要です。


高いモチベーションを保つために必要不可欠な存在です。


私の娘。ヲタ人生の中で、新垣さんを推した時間は最初の約11年でした。


嘘みたいですが、私の中で一推しとなった人への熱というのは、下がったことがありません。


新垣さんに対する感情も昔と今で差がありません。


ただ、新垣さんは娘。を卒業し、私が保つべきモチベーションの中に深く関わっていないので、表に出ることが無いだけのことです。


りーちゃんも然り、


当然、舞波に対するそれも然り、但しこちらは歪んだ挙げ句に破滅してしまいましたがw


新垣さんが結婚なすっても、あのぽってりとした可愛らしい唇や華奢なバディから垂れ流す昭和感、極悪司令官のような温かく突き刺さる眼差しに平伏す状態、これに濁りはありません。


これは私の感覚ですが、人に対して『幸せになって欲しい』だのという考え方は、余りありません。


人は幸せを渇望し続ける存在なのだから、幸せにならないといけないものであり、故に未来より今は不幸せである事が望ましいのですが、まぁそうはゆきません。


そして、幸せの定義はありません。


私は自分に興味がないので余り具体的な幸せというのを叶えようという考えに至ったことはありませんが、人の精神状態から生産される感情の起伏には興味があり、これを得ることが貴重な糧となってます。


私は、新垣さんの人生が概念的多幸に呑まれてからの新垣さんしか知らないですが、新垣さんがいかにこれからも一層もがき、凛としたり折れ曲がったりしながらも、あの眼差しを絶やさないようにするのか、それを見届けないとなって思います。


新垣さんの幸福はあくまでも新垣さんのものであり、私が願うまでもなく新垣さんの心が渇望しているものでしょうから、そもそも私に出来るのは、新垣里沙という人を信じることのみです。


そして、人を信じる時にその見返りを求めないというのは、自分の対内的幸福に対する必須条件ですから、それもまた私自身が貫くべきものです。


新垣さんがこれからも新垣さんとして生きてゆく様を見守りたいと思います。