パソコンのおはなし。

数年前に多数マシン計画を立てておりましたが、長年進めないままハード自体が古臭くなってしまい、一端頓挫させました。

昨今、3Dプリンタの導入もあり、いよいよ今使っているオンボードCPUの低TDPマシン達では限界が訪れております。

来るwin11への対応もあるため、メインのマシンとして極めて強力なものを1台作る必要性が出てきました。

そして、今更ながらオフラインとしてXPを1台復活させる必要もあります。

こちらは中古のマザーで対応出来なければ一応ひとつだけストックがあるので大丈夫です。

課題となるのは、極めて強力なマシンのスペックを、どのへんにするかです。

最大の問題点は、win11のハード要件のうち、現時点でcore iシリーズの8世代以降のCPUが正式対応されており、それ以前は自己責任かアウト。

ハードの面で言うなら、7世代までのものでもCPU以外は対応させられます。

少し検討しているインテルX99チップセットのものは世代的にアウト。

但し、ハードスペック面では他のファクターはクリア出来る。

あと3年でwin10のサポートが終了するのですが、それまでに8世代以降のハードで構築する場合、それならばやはり単一の極めて強力なマシンではなく、数台のマシンで構築したほうが無難でしょう。

私がX99のマシンを構築したい最大の理由は、ハードスペックの面で圧倒的に制限が無いからであり、多角的に見ても魅力があり、単一のマシンでも不安を感じずに動作させられるであろうからです。

8世代以降のものに興味湧かないのは、別にスペックとして低いのではなく、中古市場もまだ安値とは言えないからです。

私は、何とか捻出して今までパソコンライフを謳歌してますもんだから、ここでいきなり今までのコストに対して5倍はナンセンスだと言うことです。

そもそも、10年以上前のスペックのマシンであったとしても、利用目的と一致するのであれば利用価値はあるってものです。

XPを構築する理由も、とあるXPまで対応のソフトウェアを使うためです。

確かwin7でも動いたけど、間違いなく動いていたXPで、そいつだけのためのマシンと言うことであれば、気軽です。

ソフトウェアは必ずしも最新が優れてるとは言えません。

私は未だにXPのsp3を越えるOSなど無いという感覚があります。

それは、とにかく軽快であったからです。

私の今の環境ですと、ネットも相当重いです。

その感覚にならずに使えた、しかもハードの要求が低かった。

昨今の要求環境は、私のようなパソコンユーザーには辛いです。

とりあえずwin11については暫く様子を見ます。

1/144 航空機の進捗。

現時点で試作含めておよそ9機と車輛が少々とテーブルと椅子とドラム缶があります。

これらを適当に並べてみました。

 

やはり大戦の機体はフルカラーじゃないほうがリアル。


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てな感じです。

SWEETのfw190-D9やっぱデカールが凄いです。

ピットロードのsd.kfz.250も、3Dプリンタ出力のパーツと伸ばしランナーのアンテナを追加してます。

 

そろそろ本気で1/144のプロジェクトに向かう必要がありそうです。

究極の音。

無構成音楽の作り方、ナンセンスですが、私の中でパイオニアな存在の曲はジャコのソロアルバム"Word of mouth"の1曲目に入ってる"crisis"です。

初めてこの曲を聴いたときは全く理解できず、しかし圧倒されました。

音楽としての構成を、意図とするか偶然とするかは、その音楽のプロデュースをする人間が決める事です。

ジャコの意図として、この曲の目的と、いわゆる調和的インプロは一致していなかったんだと、私は考えています。

もちろん、この曲のミックスダウンは抜粋でありますから、最終的にはジャコの目指した調和を成していると考えるのが筋です。

しかし、プロセスが重要なんですこの曲は。

私は、音楽をクリックで表現する完全インプロは支配的であり望ましくないと考えています。

で、10年ほど前から思案している方法について、今年は試そうかと思っています。

それは、全楽器を私が演奏しますが、その時に耳に入れる情報は、抑揚の無い長い目のスパンのクリックで、それだけを聴いて各楽器を演奏録音し、ミックスダウンでは基本的に垂れ流すという仕組みのものです。

人間のバイタルが持つリズムの抑揚は、声紋や指紋と同じく個別に全て違うが、どの切り口でも個性を認識出来るものであるという私の考え方に従えば、一人の人間が行う完全インプロは、調和するハズ。

これを試したいと思います。

 

あくまでも、完全インプロの音楽として、究極の音を目指したいと思います。

秩序とスマホ。

これは私の個人的な考えです。

 

スマホは世界をダメにしました、そして今この瞬間もまだダメにしています。

ネット社会の一番マズい所は、この仕組みの枠から突然外れると何も出来なくなるところです。

基礎的にマズいと思ってるのが、莫大な人数の歩きスマホ生物です。

危険だとかどうとか、そういう部分はさておき、歩行よりその画面の向こう側に何か重要なものがある生物が増えているのがマズいと感じるのです。

歩くのに必要な周囲の生の情報を超えて、何か重要なものがそこにある、そういう事です。

だから、歩きスマホ生物は、その行為の邪魔をしてくる人に対して苛立つのです。

そもそもだから、歩行を超えて重要なものが、画面の向こう側にしかありえないシステムのエラーと言えます。

歩きスマホを決して擁護しないし、今すぐ消えてほしい生物ですが、環境が無ければ存在しない生物であるのは、これは確かです。

でも、私はもっと根本的な危険があると思ってます。

それがスマホです。

私自身、スマホを使ってますが、そもそもガラケーを受け入れない社会になったから仕方無く使ってます。

エンタメの部分に対しては、殆どどうでもよいと考えています。

故に、私自身もこのシステムの枠にハマっておる訳です。

実際、通販の面、金の管理、交通手段の管理、データの管理、そして仕事の管理まで、事実上このスマホが無くてはやってけない仕組みに掌握されています。

実際、世の中のシステムがそのようになってきて、そりゃ便利ですよ、小銭も殆ど要らない状態ですし、通帳も必要無く、どれだけ働いたかってのもすぐに解る。

世の中の仕組みがそちらに傾いてきて、どうにも反対側には倒せなくなってきてる状態なのです。

私は結果的に物理的な何かが存在する状態を好むので、ネット上で完結する出来事そのものには余り深い興味が湧きません。

結果的にどこかで物理事象があるような、そういう使い方をしています。

でも、やはり世の中の仕組みがそちらに傾き、1種類の方法論が勝つような状態が本当に恐ろしいです。

そもそもネット社会の存在自体はもっと昔からあるし、社会の構造として私が危険と感じる資本主義やら民主主義も、それ自体の歴史も古いです。

ただ、その速度を、人間が処理できる速度から逸脱して進ませたのは、スマホです。

あらゆる便利は、結局人間を苦しめます。

私は、人間の進歩が地球の悪だと考えてます、故に自分は悪だと考えてます。

特に環境問題がどうのこうの、と言うのは、もう手遅れになった今、ようやく言い出してる状態であり、それはつまり小便をチビり始めてからトイレに向かってるのと同じで、チビったものによる汚染は残るのです。

資本主義と環境破壊は一対なのだから、環境保全をするって事はつまり資本主義を捨てるって事です。

今から行う環境保全ってのは、数百年後に結果をもたらすかもしれない行為ですから、実感を得ることは不可能です。

それを理解した上でやってんのかどうかと思うと、そうではないでしょうね。

 

そして、コロナを止められないのは、人間の欲望が存在するからです。

本当にコロナを死滅させたいと思うのであれば、経済活動はしちゃいけません。

コロナがどうやって感染するのか、それはもう皆さんご存知なのに、どうして死滅しないのか。

じっとしてられない社会があるからです。

つまり、資本主義を守るために、コロナの感染による死者の皆さんには犠牲になってもらってる状態です。

私は思いますよ、資本主義をどうしても守りたいけどコロナを死滅させたいのなら、スマホをもっと活用すべきだと。

皆さんスマホ見ながらウロウロしてますけど、スマホが移動してない時間は、分単位でそれなりの給付金を受けられるようにするべきです。

今の人間だいたいの人がスマホと人間がセットです。

移動せずにスマホを見るのは、本来それ自体もある程度問題あるけど、歩きスマホ状態に比べたら相当マシです。

給付を受けるために携帯を自宅に置いてきぼりにして生きてける人間の数は相当少ないでしょうからね。

税金は、しかるべく利用して国民を守るためにあるハズですからね。

なので、私はスポーツに余り興味が無いから、オリンピックのために費やされた税金については全く承服いたしかねます。

飲食やレジャーの業界の方々が、どうも食っていけない住んでゆけないって言うのに、オリンピックですかと。

その税金を給付に回せば、そもそも感染拡大なんてもっと抑えられた。

これは仮定ではなく事実です。

実際、人の動きがなければ感染が拡大しないんだから。

世の中の色んな仕組みが、コロナを延命して人間を早死にさせてるだけです。

数百年後、人間がもうちょい利口になっていたなら、このコロナの時代の歴史は、鼻で笑われるような御粗末なしょうもない時代と言われるでしょう。

コロナが死滅しないのを誰かのせいにしながら、私は大丈夫なんて思いながら、今日も明日もスマホ見ながらウロウロ歩く人がいっぱい居るのでしょう。

夜道で見掛ける歩きスマホ生物は、画面に照らされた顔を、その恥ずかしい顔だけは全く隠そうとせず、やれ個人情報だのなんだと言いますね。

システムに巻き取られるままに、特に疑問もなくウロウロしてます。

システムと共存してるつもりなんでしょうが、このエラーだらけの社会のシステムと共存したいのなら、しっかりそのシステムと喧嘩しておくべきだと、そう思いますよ。

そりゃ社会のシステムはまぁまぁ悪です、ですがそのシステムの良いところだけをうまく利用してこそ共存でしょう。

 

私自身は運良くコロナの影響の少ない仕事をしています。

そうでない方々については、本当に大変だと思いますし、災害だと私は思ってます。

この災害に対して、私達の国はどうも冷やかです。

津波が日本全国の問題でないのと、何が違うんでしょうかね。

本当に血迷ってます。

血迷ってる国が冷やかなのに、文句を言っても届くわけが無い。

言わなきゃもっと届きませんがね、それでも言っても届かないんです。

私は、資本主義が本当に嫌いです。

そして、このシステムから逃れたいから、だから資本が必要なのです、もう本末転倒です。

やりたい事を職業にできてる訳でもなく、生活のために仕事をやってます、別にやりたくない仕事です。

そんな興味無い仕事です。

 

ですが、私はやっぱり思う、バランスとしての秩序の維持に、資本主義もスマホも、やはり役には立っている。

 

民主主義は幻想だけどね。

 

スマホに掌握されたように見える社会のシステムですが、うまく利用して対峙してゆく、もうこれは個人レベルで切磋琢磨するしか無いんでしょうね。

そもそもこのシステムの入口に立って泥団子を転がし始めた人も、その途中で泥団子を転がし始めた人達も、泥団子にへばり着いて転がってるんですから。

どっかで踏ん張らないと止まれないし、上手に降りてゆけない。

 

スマホも秩序も、自分が思うより高い水準で俯瞰してゆかないと、もうダメかも知れない。

有井 1/32 オーナーズクラブ 64'グロリアスーパー6用のワイヤースポークホイール。

元のホイールとタイヤが、やはりこのシリーズの乗用車にはショボ過ぎるので、相当なインチアップと低偏平タイヤを3Dプリンタ出力しました。

このモデルはボディと内装以外を作り直してますが、とりあえずホイールの塗装まで済んだので。
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ここまで部屋の通常の照明。

さすがに1/32スケールなのでモッサリした部分は出てきますが、目視では一切気にならないレベルです。
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塗料はガイアのプレミアムミラークローム

渋味はコイツが断トツな気がしてます、てか他のこういうメッキ系統のまだ使ったことないですw

 

殆ど見えなくなるのですが、ブレーキディスクとかキャリパーとかも作ってます。
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ここまでやる必要性は、多分まったく無いです。

キャリパーはまだ未塗装です。

この他にもありとあらゆるパーツを、このモデルのために作っております。

 

1/32のスケールとしては余り存在してないのですが、この改造でステアリングを可動にしています。

自動車のモデルでステアリングを切れないのは残念です、だって、タイヤハウスはそのためのスペースがだいたいあるんだもの。

 

このホイールはハウジング側から2mmのビスで止まりますが、仮止めの時に色々と思い付いたり改善すべき部分が出て参りましたので、やってゆきたいと思います。
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辛うじてキャリパーが見える感じですねー。

まぁ、このぐらいが逆にリアリティありますかね。

ディスクとキャリパーだけだとこんな感じです。
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一応、ディスクはホイールと連動して回ります。クリアランスは適度にあるので、引っ掛からずに回ります。

 

明日キャリパー塗装しちまおう、タイヤも出力してしまおう。

音楽的な事柄。

私、個人的な音楽製作としてここ数年間は打ち込みのフワッとした音楽を作り続けています。

コードの羅列を打ち込みまして、それを様々なVSTiに差し替えてミックスダウンするという品物で、基本的にはコードだけです。

メロディを導入しない理由は、メロディがあると音楽的なテーマが明確になり過ぎる、というのを回避するためです。

メロディに相当するものは、恐らく聴き手の中で生成されてゆき、私の作った音楽が聴き手によって個性を構築するという、そういう目的の音楽です。

目的のある音楽ってのは、音楽的な面では殆んどの場合作り手の表現手段の一部であり、音楽が作り手の所有物となるのですが、私が今取り組んでいるものは基本的に私の提示しているものは骨子であり、その骨子に対して構築するのは聴き手、という音楽です。

音楽的な意思は、基本的に私は放棄しています。

当然ながら、その受け方により、この私の一連の音楽は変化します。

というやつを、数年間やってます。

メロディを決めるやり方は、どうやら私の音楽の作り方としては直接的過ぎるようなんです。

あと、メロディの構築は結構もう新しくならない。

だからメロディの無いものを作るほうが結論は増える。

私の音楽の行方は、私が決められないってのは、もう20年ぐらい感じてる事です。

構築を綿密にしても、その構築の意図がどのように解釈されるのか、というのをこちらから提示するのは、聴き手に対してはフェアではない、と考えるやり方です。

もちろん、メロディがあっても無くても、その意図を提示していなければ、聴き手によってその解釈は構築されるのですが、メロディが無ければ更に聴き手によって構築できる解釈は多様性を湛えるであろうと思うのです。

 

 

 

そうなんです。

勤務先の捻れ。

私、今の勤務先には確か7年目だと思うのですが、最近めっきり職場の状況に生じてる綻びが酷くなってきてます。

仕事の本体は、正直そんなに変化無いし平和と言えるのですが、感情面の不均衡が色々と細かい亀裂を生じさせていて、数年前までは確かにあった一蓮托生のような空気感を感じるのがとても難しくなっています。

仕事の大半は、例えば仕事の本体の内容が大変で、それで疲れるとかキツイとか、そういうのが割と健全なストレスだと私は思ってますが、仕事の本体ではない部分の、鬱積した感情面の不均衡がもたらすストレスは、実に不健全であり尚且つ不愉快です。

私自信は、問題があった時になるべく早く解決出来るような方向性で動きたい人です。

それは、職場の空気を、なるべく健全な状態に近付けて保つほうが結果的には仕事のモチベーションや円滑な業務の状態に持ち込みやすいと考えるからです。

当然ですが、自分に非があった場合、余程シビアな場合を除いて、その事実を認識して開示して謝罪して和解するのが道理です。

ですが、それも結局は謝罪を受ける側の態度で変化しますし、意味を成すか否かというのも、言い方を少しキツくするのであれば、謝られる側の態度によっては台無しになります。

何か問題があった時、解決に導く行為には必ず双方の理解と譲歩が必須です。

謝罪そのものを拒否してしまえば、それはつまり相手の真摯なる行動を無にする事になり、結果的にそれは拒否した側が謝罪をしなければならない状況を作ります。

人間が何らかの誤りをするのは、よくある事です。

それでもそれを認めない、許さないのであれば、それは赦されざる大罪です。

寛容さとは、人間性の賜物です。

寛容性から逸脱して和解を遠ざけるのは、行為としては元の誤りを超越する誤りです。

その誤りを許すのに必要な寛容さは、最初に必要な寛容さの物量とは比にならない莫大な物量です。

そして、もう1つ。

私の職場には結構なレベルの理想論展開主義者が居ます。

この人の内側には理想論が現実より先にあり、その理想論が絶対的に存在しているため、現実的な問題があった時に解決が困難になりがちなのです。

この人の概念には『オールハッピー』というものがあります。

『オールハッピー』とはそもそも、血の滲むような、内蔵を抉るような、脳を焼くような、肉体を切り裂くような、そのような情熱と努力が必要であり、そもそも理想論的な『オールハッピー』は、現実的には非現実的です。

理想論的な『オールハッピー』は、秩序の樹立と真逆の考え方であり、究極的な『無関心』とも言えます。

つまり、『オールハッピー』を概念にしてるこの人は、職場に対して『無関心』を展開している訳です。

そして、この人は立場的にそこそこ上です。

実質的には職場の現状として相談を受ける立場であり、解決のために尽力する立場ですが、『オールハッピー』の概念によりそれは無下にされており、結果的に自分で『オールハッピー』を破壊してますが、本人にはその自覚が無く、職場の機能としてその部分が破綻しています。

少し前まではバランスの取れた人物が居たのですが、今はもう居ないため、事実上破綻している状態です。

私はそもそも今の仕事そのものに対しては既に概ねの興味を失っています。

当然、今の仕事より0.1ポイントでも上回る仕事があれば、次の瞬間から転職する事を躊躇わない領域に居ます。

だがしかし、今のところその0.1ポイントは、現場の心ある人々によって退けられています。

今までしてきた色んな仕事の、その人間性の中でも、比較的優れた職場なのです。

だからこそ、今この職場にある問題点は非常にもったいないと感じます。

前の職場には、そもそも何の利得も無かったし、人間性の点でもそれを有すると感じられたのは3名っていう職場でしたから、極めて劣悪だったと思います。

でも、前の職場に於いて問題点は殆んど全てだったのに対して、今の職場の問題点は、ごく少数の、限られた人間の、極めて些細な、クズのような、そういうバカバカしい部分が作り上げているものです。

殆んどの人はリスペクトしてますし、されてると感じることも可能です。

故に全く、馬鹿げているし、残念です。

こういった問題点が、解決される方法を探ってますが、余り無いので私は困ってます。

 

どんよりしてます。