音楽的な事柄。

私、個人的な音楽製作としてここ数年間は打ち込みのフワッとした音楽を作り続けています。

コードの羅列を打ち込みまして、それを様々なVSTiに差し替えてミックスダウンするという品物で、基本的にはコードだけです。

メロディを導入しない理由は、メロディがあると音楽的なテーマが明確になり過ぎる、というのを回避するためです。

メロディに相当するものは、恐らく聴き手の中で生成されてゆき、私の作った音楽が聴き手によって個性を構築するという、そういう目的の音楽です。

目的のある音楽ってのは、音楽的な面では殆んどの場合作り手の表現手段の一部であり、音楽が作り手の所有物となるのですが、私が今取り組んでいるものは基本的に私の提示しているものは骨子であり、その骨子に対して構築するのは聴き手、という音楽です。

音楽的な意思は、基本的に私は放棄しています。

当然ながら、その受け方により、この私の一連の音楽は変化します。

というやつを、数年間やってます。

メロディを決めるやり方は、どうやら私の音楽の作り方としては直接的過ぎるようなんです。

あと、メロディの構築は結構もう新しくならない。

だからメロディの無いものを作るほうが結論は増える。

私の音楽の行方は、私が決められないってのは、もう20年ぐらい感じてる事です。

構築を綿密にしても、その構築の意図がどのように解釈されるのか、というのをこちらから提示するのは、聴き手に対してはフェアではない、と考えるやり方です。

もちろん、メロディがあっても無くても、その意図を提示していなければ、聴き手によってその解釈は構築されるのですが、メロディが無ければ更に聴き手によって構築できる解釈は多様性を湛えるであろうと思うのです。

 

 

 

そうなんです。