勤務先の捻れ。

私、今の勤務先には確か7年目だと思うのですが、最近めっきり職場の状況に生じてる綻びが酷くなってきてます。

仕事の本体は、正直そんなに変化無いし平和と言えるのですが、感情面の不均衡が色々と細かい亀裂を生じさせていて、数年前までは確かにあった一蓮托生のような空気感を感じるのがとても難しくなっています。

仕事の大半は、例えば仕事の本体の内容が大変で、それで疲れるとかキツイとか、そういうのが割と健全なストレスだと私は思ってますが、仕事の本体ではない部分の、鬱積した感情面の不均衡がもたらすストレスは、実に不健全であり尚且つ不愉快です。

私自信は、問題があった時になるべく早く解決出来るような方向性で動きたい人です。

それは、職場の空気を、なるべく健全な状態に近付けて保つほうが結果的には仕事のモチベーションや円滑な業務の状態に持ち込みやすいと考えるからです。

当然ですが、自分に非があった場合、余程シビアな場合を除いて、その事実を認識して開示して謝罪して和解するのが道理です。

ですが、それも結局は謝罪を受ける側の態度で変化しますし、意味を成すか否かというのも、言い方を少しキツくするのであれば、謝られる側の態度によっては台無しになります。

何か問題があった時、解決に導く行為には必ず双方の理解と譲歩が必須です。

謝罪そのものを拒否してしまえば、それはつまり相手の真摯なる行動を無にする事になり、結果的にそれは拒否した側が謝罪をしなければならない状況を作ります。

人間が何らかの誤りをするのは、よくある事です。

それでもそれを認めない、許さないのであれば、それは赦されざる大罪です。

寛容さとは、人間性の賜物です。

寛容性から逸脱して和解を遠ざけるのは、行為としては元の誤りを超越する誤りです。

その誤りを許すのに必要な寛容さは、最初に必要な寛容さの物量とは比にならない莫大な物量です。

そして、もう1つ。

私の職場には結構なレベルの理想論展開主義者が居ます。

この人の内側には理想論が現実より先にあり、その理想論が絶対的に存在しているため、現実的な問題があった時に解決が困難になりがちなのです。

この人の概念には『オールハッピー』というものがあります。

『オールハッピー』とはそもそも、血の滲むような、内蔵を抉るような、脳を焼くような、肉体を切り裂くような、そのような情熱と努力が必要であり、そもそも理想論的な『オールハッピー』は、現実的には非現実的です。

理想論的な『オールハッピー』は、秩序の樹立と真逆の考え方であり、究極的な『無関心』とも言えます。

つまり、『オールハッピー』を概念にしてるこの人は、職場に対して『無関心』を展開している訳です。

そして、この人は立場的にそこそこ上です。

実質的には職場の現状として相談を受ける立場であり、解決のために尽力する立場ですが、『オールハッピー』の概念によりそれは無下にされており、結果的に自分で『オールハッピー』を破壊してますが、本人にはその自覚が無く、職場の機能としてその部分が破綻しています。

少し前まではバランスの取れた人物が居たのですが、今はもう居ないため、事実上破綻している状態です。

私はそもそも今の仕事そのものに対しては既に概ねの興味を失っています。

当然、今の仕事より0.1ポイントでも上回る仕事があれば、次の瞬間から転職する事を躊躇わない領域に居ます。

だがしかし、今のところその0.1ポイントは、現場の心ある人々によって退けられています。

今までしてきた色んな仕事の、その人間性の中でも、比較的優れた職場なのです。

だからこそ、今この職場にある問題点は非常にもったいないと感じます。

前の職場には、そもそも何の利得も無かったし、人間性の点でもそれを有すると感じられたのは3名っていう職場でしたから、極めて劣悪だったと思います。

でも、前の職場に於いて問題点は殆んど全てだったのに対して、今の職場の問題点は、ごく少数の、限られた人間の、極めて些細な、クズのような、そういうバカバカしい部分が作り上げているものです。

殆んどの人はリスペクトしてますし、されてると感じることも可能です。

故に全く、馬鹿げているし、残念です。

こういった問題点が、解決される方法を探ってますが、余り無いので私は困ってます。

 

どんよりしてます。