まーちゃんの卒業公演。

えーと、奇跡的に当選したんですよ。

今回のは本当に、当たる希望ってのは持ってなかった。

当たらなかったらムリ、そういう感じでした。

実際、私の同胞であり大切な仲間であるノリさんはこの公演に参加出来なかったんです。

そう言った部分も含めて、この体験を記録しておきます。

 

 

 

まーちゃんの加入のその日、同じ場所である日本武道館で、強烈に印象に残る公演に私は参加しました。

それは、高橋愛ちゃんの卒業ツアーの前日公演であり、ステージに5期が揃った最後の日であり、10期の御披露目であり、前通路でした。

私は、あのツアーに於いて、スカイさんの隣で、高橋愛ちゃんの卒業公演に参加し、何らかの役目を果たしたんだと思います。

日本武道館とは、私にとっちゃ強烈な聖地です。

あの日、あの場所に現れた新メンバーであった10期は、私自身は5期と9期を慕う者ですが、それでもいまこの時点で10期とは即ち最強であると断言します。

露骨なまでに情熱や感情を、畏れる事なく吐露し解放する人達はなかなか居ないと思うんです。

正しくそれは5期や9期には幾分欠けている部分であり、私の記憶してる娘。の歴史の中でもその分野に於いて10期はパイオニアであると思ってます。

 

まーちゃんに関する私の記憶というのは、殆んどが爆笑です。

しかしながら音楽となると豹変し、表現する人です。

まーちゃんの繰り出す音楽的な部分というのは、緻密さの無いものです。

もちろんまーちゃん自身は必死に練習したし、その片鱗も伺えるし、溢れてますが、それでもまーちゃんの音楽はインプロビゼイションです。

インプロ音楽家であろうと、努力や綿密な修練は必要です。

その上で、というかその外側で、音楽に対して反応する時は人間として音楽にどこまでも委ねる状態、それを感じるんです、まーちゃんには。

そして、今唯一残る現役の10期であるあゆみん、この人の存在感がいかにリアリティのあるものであるか、というのは、常に感じられるものでありました。

でもやっぱり、リアルタイムでまーちゃんと戯れながら自らを解放するあゆみんの姿は凄いもんです。

現時点であの公演を体験し終えて30時間ぐらいですが、参加したって言いにくいんですやっぱり。

それは、娘。の存在がそもそも、関わる者達の解放をぶつけ合って反応させる事ですから。

もちろん、参加の仕方は全員分ありますが、そのスタイルそのものに不可抗力としてリミットがある現状で、私があの場所で出来た最大限の事とは、しっかりと見届ける事でしかなかったんですよね、それが即ち現状での最大の参加であると。

 

今まで沢山の卒業公演に参加してきました。

私が参加をしなかった卒業公演のうち、後に盛大なる破壊に至ったのは石村舞波の卒業公演たったあの1公演です。

娘。のメンバーは確実にいつか卒業します、脱退した人も居ましたが、いつかは娘。から出ていくんです。

それがそもそもの大前提にあるため、卒業そのものがショックな事柄とはならなくなったのは多分、吉澤ひとみさんの卒業公演からだと思います。

娘。に加担し、力を注ぐ者として、娘。の時間に人生そのものを浸透させているメンバーの卒業とは即ち、壮大で荘厳で神聖なる別れを讃えるための場所です。

私はそもそも娘。ヲタなので、推しであろうと卒業のその後も娘。ヲタです。

まーちゃんの卒業もまた、そういう意味合いのある出来事です。

正直なところ、何よりもあの公演が特殊であった理由とは、単独公演として現実的には約2年ぶり、前回の公演は、単独としてまーちゃんのラスト凱旋公演だった訳です。

凱旋公演の次が卒業公演だったってのは、それが私の記録としてまーちゃんの居る娘。単独公演のレコードであるって事です。

 

この約2年間、コロナの効果によってハロコンが延々と行われています。

単独公演を開催できる体力のある娘。が、ハロコンとしてグループ分けされて約2年間もバラバラでライブをしてきたのは何故なんだろうかと、私はその疑問に取り組んで過ごして来ましたが、そんな中で結構な人数のハロメンが卒業したり脱退したりしました。

そして、結構な人数が新たに参加してきました。

参加型ライブありきのハローのグループが、それぞれ単独としての公演を出来ないのは妙です。

私は2年で済んだけど、昨日の公演に参加出来なかった娘。ヲタさん達は未だにその単独参加不可の日数を伸ばし続けており、その終わりも見えてません。

あゆみんが昨日語った悔しさは、同じ物量でそれぞれの娘。ヲタにある物だからこそ、私のスタンスとしてあの場所に居るって事の意味は、凄いものだったんです、私にとってはね。

もちろん、まーちゃんの卒業公演としての意味も非常に大切ではありますが、娘。の単独公演ってのが本当にあの公演を奇跡でもないと入れないような公演にしたんだなと、そう私は思ってます。

絶対的不可抗力であった舞波や鞘師の卒業公演とは違い、最初からその公演がそういうものであるという所からスタートしてる訳で、その時点で結構打てる手段は限られていて、それこそFC先行での当選が無ければそもそも参加が困難な公演てのが前提でしたから、逆の立場で私が落選していても、何の不備も不手際も落ち度も無いのですよ、こちら側にも興行開催側にも。

たまたま入れた、そういう公演だった。

 

その、たまたま入れた公演で、私が心底感じた事は、私は娘。ヲタであり、ハロヲタではないって事です。

それは、実はこの2年間続いてきたハロコンでは余り具体的に感じて来なかった事です。

つまりそれは、推しを長時間体感する事で得られる感覚ってのが2年間無かったからであり、あの時間を娘。と共に過ごしてこそ得られる感覚です。

そして、この感覚こそが私の生存の糧です。

どうしても必要なものです。

昨日はいかに私がえりぽん推しか思い知ったけど、同じ目線ではない部分では、めいちゃんが生田を凌駕してたのも感じました。

そして、娘。メンバー全員の圧力を感じました。

そりゃそうだろ、そうじゃなきゃ娘。である意味なんて無いものね。

 

昨日参加出来なかった人の方が圧倒的に多かったからこそ、私達のような、あの公演に入れた人が決して持ってはいけない感覚とは、それは優越感です。

我々は決して選ばれし者達ではなく、たまたま偶然に当選しただけです。

全ての公演は特別ですが、昨日の公演に参加した者は、その体験を生涯背負う事になります。

自覚してなくてもね。

そういう公演でした。

記録すべき事は、娘。は強くなってた、という事です。

 

 

 

 

 

次はいつ単独があるんだろう。